☆嫌いな人(こと)へのアプローチ。
精神的、肉体的にどうしても要望に応えられない場合はどうするのか。
もし、飲めない酒の席に誘われたらどうしますか?
もし、神社参拝の誘いがあったらどうしますか?
もし、嫌な上司の部下が耐えられなくなったらどうですか?
以下に、私の体験を踏まえてお話します。
○飲み会。
飲めない酒は飲めません。
だからといって、飲み会に行かないというのは良いことではありません。
人間関係を深めるチャンスを失うからです。
評価されたいなら、飲み会をオールキャンセルの手はありません。
若い時の私はお酒に弱く、お酒が嫌いでした。飲むとすぐに赤くなるし、「真っ赤だな!」とからかわれるのが嫌で、逃げ回っていました。
この世で一番嫌なことは、嫌いな人たちと酒を飲むことでした。
飲むと気持ちが悪くなるし、注がれると飲まない訳にいかず、飲んで苦しく、飲んでからかわれるので、全く割に合わないと考えていたのです。
実は、「飲めなければ飲まなければいい」ということを知ったのは随分後のこと。
ジュースでよい。ジュースで楽しく振る舞う‥これでいい。
でも、飲めないと言っても、一杯ぐらい飲めるといいのですが‥
さて、飲み会は仕事です。社内営業です。
お酒の席で、笑顔で対話する。カラオケに誘われたら歌いましょう。
下手くそな上司の歌が終わったら、大いに拍手しましょう。
最低限、お付き合いをしましょう。
学会活動と酒の飲み会、どっちが大事でしょうか。
どちらも大事と申し上げたいと思います。
けれど、飲み会はいつもある訳ではありません。
飲み会を大切にし、できる限り優先しましょう。
尚、「酒やケーキの団結は一時的なもの」と、酒の席を馬鹿にする学会員がいますが、これは指導を歪曲しているとしか言いようがありません。
結婚式が真心のおもてなしであるように、わざわざ酒の席を用意することには深い意味があります。その意味や意義をきちんと受け止めることが大事なのです。
まごころは受ける。これが大人の対応です。
「私はお酒が飲めませんから参加しません」と言うのは、昇進昇格を拒絶するようなものだと思います。
○神社参拝。
では、神社参拝はどうでしょうか。
私は会社行事で誘われたら行きます。ただし、「お供する」という意味です。
ちゃんと「学会員」であることを告げてから行きます。
そして、行った後に「今度、学会の会合に行きましょう!」と誘います。
お断りするのも方法の一つですが、それでは発展性がないですね。
仏法対話の良い機会になりますから、逆手にとるのです。
○勝負。
嫌いな人との付き合いと、好きな人との付き合いは、方法論としては同じです。
その方法論の記事は、→
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まず、仲良くなるための努力をします。
しかし、相思相愛にならない人たちは、何かしらクセのある人です。
批判的だったり、威張っていたり‥要するに、器が小さい人です。
努力して、努力して、頑張っているのに、意地悪をされたりしたら‥
もう、限界に達したとするなら‥
このとき、相手に打ち明けるこという方法があります。
「もう、この人とはとてもやれない!」という場合です。
「ご相談があります。お時間をください」と言って、1対1で、静かな場所で告白しましょう。
「申し訳ありません。私はこれ以上、あなたと仕事ができません。部署移動をしたいのです。どうか、この願いをお聞きください」と。
あるいは、働きたい部門を述べ、「移動できませんか?」と相談する。
やわらかく、低姿勢で、誠心誠意話します。
その願いが聞き入れられないなら、その上司のさらなる上司に相談するのです。
そのとき、直属の上司を悪く言わないことがコツです。
「ここまで頑張ってきたのですが、どうにも染まれません。一からやり直したいのです。他の上司の元で仕事をさせてもらえませんか?」
相談を受けた上役は、親身になって状況を聞くことでしょう。
そして、その発言が「前向きである」ということが分かれば、その願いを叶えてくれるでしょう。
何故なら、このようなことは会社の中で沢山、起こっているからです。
移動が聞き入れられても、すぐという訳にはいかないでしょう。
1ヵ月、あるいは数か月の単位で待たされるでしょう。
さて、移動が聞き入れられたとしても、上役はあなたを信じた訳ではありません。
「チャンスを与えよう」という意味ですから喜んでいられません。
逆に「器の小さな人」、「我慢気のない人」と思われているかも知れません。
部署移動した後は、人生をかけた勝負になります。
あなたが別の上司の元で成長したら、元の上司は敗北です。
もし、あなたが別の上司の元でもだめなら、あなたの敗北です。
あなたは負ける訳にいきませんから、頑張るしかありません。
ぜひ、勝って、元上司を部下にしてください。
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追伸:コミニュケーションとは、最終的には本音で語り合うということです。
ただし、本音を言う前に沢山の努力を必要とします。
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