☆相手のせいにしない。
誰しも失敗はある。
私など、失敗談を話せというなら24時間だって話ができる。
おいそれと他人に話せない恐ろしい失敗もある。
さて、成功者は、成功の大きさに近い、大きな失敗をしているものである。
とどのつまり、失敗をしない人はこの世にいないのであり、人は失敗から学び、努力して、失敗しない自分を作るしかない。
○事故の発生。
私はある大きな事故を発生させたことがある。
現場で一酸化中毒が起こり、数多くの工員が搬送された。
これは、必然に必然が重なって発生した悲しい事故であるが、言い逃れができるはずはなく、一切、私の責任という事故になった。
幸いに、後遺症が残るものとはならなかったが、事故現場には消防車、パトカーが集結し、まるでサリン事件の現場のように酸素ボンベを背負った完全防護服姿の消防士までいて、大騒ぎになった。
事故後の処理は苦労が伴った。行政への対応、そして被害者への対応‥
世の中には、死亡事故も多い。
転落事故、交通事故など、いくら注意してもリスクは絶対にゼロにならない。
不運もある。不注意もある。運が悪ければ、会社は一発で倒産する。
そんなことを1つの失敗から学んだ。
今は対策を講じているが、やはり100点の対策はない。
○詐欺まがいで失敗。
私はある事業を失敗させた。
会社に及ぼした損害は、約4000万円。
頑張って、頑張り抜いての敗北だった。精神的ダメージは大きかった。
半年間ほど、一種の病人(自信喪失症状)になった。
世の中には詐欺師が一杯いて、約束は平気で破られる。
「大船に乗っているようなもの。絶対に儲かる」と聞いていた話だ。
話に乗り、乗った船は「どろ船」だった。
騙されたのであるが、ビジネスの世界では騙された方が悪いのである。
そもそも、会社とは株主のものである。損失を出した担当者が悪い。
騙されないようにすることが求められる。全部、自分が悪い。
生き馬の目を抜く‥これが世の中である。
騙されるというのは愚かな証拠。実力不足の証拠。
言い訳は成り立たない。
○失敗から学ぶ。
先の失敗からは、安全対策の重要性を学んだ。
後の失敗からは、相手を安易に信じてはならないということを学んだ。
安全に留意するとか、無防備に相手を信じてはいけないなどということは当たり前のことであるが、それは自らが失敗するか、他の失敗を見て初めて学習できることである。
子供の頃、走って転んで痛みを感じるからこそ、転ばないすべを身に付ける。
転ばない人などいない。その失敗は、成功への階段だ。
失敗する。学ぶ。失敗しないよう工夫する。その繰り返しが人生だ。
そもそも、行動すれば問題が生じるもの。
大事なことは、生命力と利他の精神だ。
誰かのため、人々の幸せのためという前提があれば動かざるを得ないし、あとは生命力でそのことを成し遂げることである。
生命力は信仰から得られる。これは私たちの大きな武器だ。
私たちはピンチに祈ることができる。
御書や先生の指導から元気を得ることができる。
ありがたいことである。
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