☆妥協は仕事の必需品。
「妥協は仕事の必需品」などというと怒り出す人がいるかも知れない。
創価学会員なら、この言葉に嫌悪感がある人は少なくないだろう。
かくいう私は、「清濁併せ呑む」というのは「味噌も糞も一緒」というぐらい「許せない」言葉だった時代がある。
この言葉は、「大海が清流も濁流も隔てなく受け入れることから、心の広い人のこと」の譬えである。
実際に職位が上がって行くと「清濁併せ呑む」を選択せざるを得なくなる。
意見は1つにはならないし、好みも立場も違うからである。
ビジネスは宗教ではない。表もあれば裏もある。
ズルもするし、ごまかすことも平気でする。それが世の中だ。
世の中は、学会のようにものわかりのいい世界ではない。
「こうでなければオカシイ!」と独善の神様になったら‥
仕事は成り立たないだろう。
○大同小異。
「小さな違いはあっても、大体 が同じであること」
それが大同小異の意味である。
まったく価値観も方法論も同じという組織はない。
何かを同意するために、「小異は仕方ない」との割り切りも必要だ。
予算の決定など、どれが正しいか分からないことがある。
人員の割合(直間比率)、部門ごとの年間予算、経費の分配‥
えいや!と決めて、結果、部門に過剰投資したり、損害を与えたりもする。
不平不満はある。けれど、だいたい、良ければそれで良い。
60点合格。私はそれを行動哲学としている。
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○片目をつむる。
ある日、上司が品(しな)という文字の意味を教えてくれた。
「品という字は3つの口がある。お客様と取引先とわが社とが、皆食えると言う意味だ。よい品を持つことで、皆が潤う。これが商売の極意だ」
しかし、現実はどうだろうか?
お客は喜ぶけれど、利益が出ない。これでは会社は倒産する。
利益は出たけれど、仕入れ先に泣いてもらった‥
取引業者が潰れたら、こっちも損をする。
三者が潤う商品ばかりではない。
営業、販売、工事、事務方、株主、顧客、取引先‥
どこかに矛盾も出よう。それが現実だ。
その矛盾を「オカシイ!」と騒ぐ人が必ず会社にはいる。
この世を白と黒に分けたがる我慢気のない人だ。
世の中はグレーゾーンというものがある。
それを「妥協だ」とことさら騒ぐのは、大人げないことです。
少々のオカシナことを延々と批判するより、片目をつむることの方が、物事がうまく行くということは多い。
管理職になったら妥協も必要なのです。
追記:妥協できないことも勿論あります。上記内容は、全てを妥協するという意味ではありません。
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