☆友情、人格、共同性が不可欠。
フランスのテロ事件で宗教間の対立の怖さを痛感させられました。
その記事は、→
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宗教とは、そもそも幸福になるためのもので、殺し合いになるような紛争は過去は仕方ないにせよ、未来においては何としても避けなければならない。
これは、国単位の出来事だけの話ではないと思います。
私たちの日常生活でも、いがみ合い、憎しみ合うということにならないよう留意するべき教訓でもありましょう。
一方、誤った宗教、思想に警鐘を鳴らすことは重要な私たちの使命です。
そのことで、みすみす不幸になることが分かるのであれば、やはり、問題は指摘せざるを得ない。結果として、悪く言わざるを得ない。
では、一体、どのような言動、行動にすればいいのでしょうか。
本年1月4日の聖教新聞の社説に、1つの興味深い内容が記されていました。
その記事を、以下に抜粋し所感を述べたいと思います。
(一部文章変更箇所があります)
(創価学会は)民族や国境を越えて、今や地球を包む勢いで躍進している。
紛争と差別の吹き荒れる現代にあって、SGIの発展は注目に値しよう。
日本のみならず、地球を舞台とする一大民衆運動として発展させた三代会長の偉業は、世界史的壮挙といえよう。
それを可能ならしめた、根本の要因は何か。
SGI会長はしばしば次のように語っている。
「私は仏法者ですが、仏性よりも友情や人格を信じます」
ここに「宗教のための人間」ではなく、「人間のための宗教」としての正道がある。
仏性があるから敬うというより、敬うからお互いの仏性が見えてくる。
フランスの哲学者は次のように述べている。
「社会は、宗教なしですませることができるかもしれない。しかし、どんな社会も共同性なしでも、誠実さなしでもすませられない」と。
共同性とは「お互いに支えあう絆」のことである。
所感:今、フランスで増幅している憎悪とはまるで違う話でした。
マスコミが特定宗教の開祖を揶揄し、揶揄された宗教が武器で立ち上がる。沢山の人々を殺し、殺される。その出来事で、言論の自由を盾にさらなる屈辱を与える。屈辱を受けた宗教は再びの犯行声明を叫び恫喝する‥
池田先生のお話は、その対極の内容です。
先生は、友情と人格を重んじることを前提とされています。
このことを私たちは模範とすべきですね。
友情、人格、共同性、誠実さ‥
この前提の上で、祈り、工夫して対話することが大事ですね。
悪口の応酬では、紛争を無くすことはできませんから。
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