☆中学時代に競争を知る。
私が本当の意味で自己に目覚めたのは中学生からです。
この時点から、「他と自分」を区別するようになりました。
中学に入り、2学期が終わるころに、成績が悪いことに自分でもショックを受けましたし、母親から毎日のように「勉強しなさい」と言われるようになりました。
すでに、健康な体になっていましたし、そうなってしまうと、当然、学籍社会の中ですから否が応でも高校進学という競争に巻き込まれます。
○漠然とした不安.
成績が悪い=良い高校に行けない=落ちこぼれる‥このことが見えました。
成績の悪い私は、将来に漠然とした不安を抱くようになります。
遊んでいても、どこかにその恐怖というものがあって心の底から楽しめません。
中学生のとき、花形の遊びはプラモデルでした。
熱中していると母親から叱られるのです。
マンガも面白いですし、TVも面白い、音楽を聴くのも面白い。
でも、勉強は苦痛です。手がつかないのです。
頭が悪い上に、日頃、遊んでいますし、試験前だけ徹夜です。
そんなことで、良い成績など取れるはずもありません。
ついに、中学1年は終わり、ものすごく成績が悪い状態で2年生になりました。
○奇怪な子.
中学2年になったとき、変わった同級生がいました。
その子は、休憩時間に、ものすごく難しい漢字を勉強したり、サイコロを転がして記録し、確率がその通りになるのかを確かめるというような遊びをしているのです。そのことがとても奇怪で面白く、仲の良い友人関係になりました。
彼は、四六時中、勉強を遊びにしているような子で、中学2年というのに、すでに中学3年以上の勉強をしていました。私は苦手な数学の解き方を聞き、1つ1つ教えてもらいました。
その友人のテキストには沢山の数式や文字が書き込まれていました。
私は単純に「かっこええなー」と感心しました。
○目標を果たす.
中学2年の夏休み。
私はその友人から、「これがいい」と聞いた数学の問題集を夏休み中に全部やろうと決意しました。そして、中学2年の1学期までの英単語を一通り全部暗記するという目標を立てました。
実は勉強において、このような目標を立てたことは過去にありませんでした。
私は、彼に少しでもいいから近づきたかったのです。
そして、私は生まれて初めて、勉強らしい勉強をしたのです。
2学期が始まりました。するとどうでしょう。
150人ほどいた同級生の中で、それまで130番ぐらいだった成績が一気に50番に上がったのです。このときから、私は英語と数学について高校に進むための最低限の成績を持ちました。
ただし、この成績は微妙で、志望校の合格ラインぎりぎりで悩ましい位置でした。
ともかく、もし、あの奇妙な友人がいなければ、この成績はなかったことでしょう。
ありがたい友人です。人生では、このようなことが度々あるものです。
ちなみに、その友人は医者になりました。
今も、その友人とは年賀状のやり取りをしています。
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