☆体力は得た。学業はサッパリ。
私は、志望した高校に入学しました。
劣等生が、ちゃんとした高校に進学したのです。
私としては大きな目標を達成し、ここから先は考えたこともない世界でした。
幾つもの中学から集まった、新しい学校生活がスタートしました。
○運動部へ.
入学し、私は未来を見渡すことはまだできません。
ともかく、高校生になったら、何か部活動をしなければならないと思い、私はある運動部を見学に行きました。
すると体の大きな先輩が「おまえ、何しに来た」と言いました。
私が「入部したいんです」と答えると、その先輩は「ほんまか?」と言いました。
本来、私の体では、そのスポーツはあまりに不釣り合いだったのです。
その当時の私はやせっぽちで、体も小さく、そのスポーツの適正に欠いていました。でも、私は、やってみたかったのです。
その場で私は入部し、翌日からその運動部でトレーニングを始めました。
後から知ったのですが、その運動部は例年、インターハイに出場する伝統の部でした。(このスポーツの名称は差し控えさせていただきます)
○強い体へ.
私はそのスポーツに熱中しました。
最初は技術も何も、まったくできないのですが、3ヶ月、半年するうちに、その競技のコツを掴み、面白くなったのです。
やがて、県大会になり、試合をするようになります。
個人戦と団体戦があるのですが、他校の選手はあまり強くなく、思いの外、良い成績なのです。
体の小さな私が活躍すると、観客は大喜びで場内がどっと沸くのでした。
そのことが嬉しくて、ますます練習に励ました。
私は、中学のときの体操での小さな成功が自信となっていたのでしょう。
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「やればできる」との信念がどこかにありましたし、体も強くなることが楽しかったのです。
やがて、体育館のロープを腕だけで天井まで登り、腕だけで降りて、二往復したり、懸垂20回、バーベル60㎏を何度も上げられるようになりました。
とにかく、素晴らしい健康を手に入れたのです。
○再び劣等生へ.
しかし、世の中は学歴社会ですし、勉強ができないとだめ‥
スポーツでは並み以上のものを身に付けた私ですが、その分、勉強はサッパリの劣等生になってしまいました。
高校2年生の終わりには、まったく鳴かず飛ばずの学力になりました。
ともかく、勉強が嫌いで、大学受験に必要な学科はどれもだめ。
当然、大学は志望校に行くことは無理です。
高校時代のスポーツは、この大学進学という重荷が大きくなると自然に楽しくなくなり、やがて、部活より勉強せざるを得なくなりました。
再び劣等生の自分に悩む生活が始まりました。
結果、落ちこぼれた私は、大学、社会人と、ずっと低空飛行人生となります。
幼少期から中学まで劣等生であった私は、瞬間的にスポーツという分野で良い思いをしたのですが、やっぱり、劣等生の苦しみから逃れられないのです。
好きなことに熱中すると、他のことを忘れる単細胞生物‥
悲しいことに、これが私の本質です。
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