☆欠如していた“夢”と“憧れ”.
長々と、高校時代までを語りました。
ここまでの人生は、出来の悪さはあるにしても一般的な生活かも知れません。
先日、私の記事を見た友人が「ぜんぜん、不幸じゃないですよ」とのこと。
確かに、表面的には特別不幸でもない状況だと思います。
恵まれてはいないけれど、さりとて特別問題が大きくもない。
両親はいるし、三度の食事に困るでもない。
ちゃんと学校に行っているし、ましてや学会の家族に育まれている。
でも、私は大変な憔悴感に苛まれたのです。
○夢.
今となっては、その不幸(憔悴感)の最大の原因は分かっています。
しかし、当時は分からない。悶々ともがき苦しむのです。
結論から申し上げれば憔悴感は夢の欠乏が原因でした。私には夢がなかったのです。しかし私は、小さな、本当に些細な出来事から、ある日、夢を得ました。
それは、アルバイトの中で見つけたのです。
「これは僕の一生の仕事にできるんじゃないか」と思ったのです。
その小さな夢は、やがて大きな夢に変わりました。
私は、その夢の実現に向けて真剣に生きるようになったのです。
そして、生まれて初めて、真剣に勉強を開始したのです。
○憧れ.
しかし、その夢は まだ卵のようなもので、はっきりとした目標になっていませんでした。その卵が大きく飛躍したのは、ある人物との遭遇があったからです。
ある日、私は、アルバイト先の専門誌に、大阪で開かれる有料セミナーの広告を見つけました。そこに、興味深い表題が書かれていました。
私はその先端情報をしりたいと思いました、私はアルバイトで稼いだお金を握りしめ、大阪行きの新幹線に乗りました。
そして大阪でそのセミナーを聞いたのですが、実は、この私の“行動”が、ある憧れの人との出逢いとなったのです。
その方は、某企業の技術研究室長で、ある環境の問題解決について素晴らしい発表をしたのです。シビレルようなスライドプレゼンテーションに私はすっかり魅了されました。そして、「100分の1でいいから、この人のような人になりたい」と思ったのです。
○努力する人へ.
人生は心一つで、劇的に変わるものです。
私は、何かに取りつかれたように業界誌を読みあさり、猛勉強を開始しました。
仕事では、毎日の仕事を、どのようにすれば簡単に、確実にできるのかを探求し、仕事が終わればその業界の技術習得のための通信教育まで受けて学びました。それは、大学時代も社会人の時代も続けました。
技術の習得のために京都、名古屋にも出向き、沢山の人たちに教えを乞いました。私の好奇心は医学分野にも及び、医科大学の教授にまで教えを受けました。
夜の夜中まで勉強し、夢中になって力を貯えたのです。
努力することがまったくできなかった人間が、ここまで劇的に変わったのは何故でしょうか。それは、夢と憧れとを持ったことでした。
夢、それは自らが「何のために存在するのか」の発見だと思います。
「やりたいこと」、それが「仕事」であること‥
これが一致したとき、私の心に途方もない熱意が生まれたのです。
「何としても一人前になるんだ。絶対になるんだ!」と決意しました。
この心の変化が、私のコンプレックスを消滅させました。
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