☆夢を掴むために全力を尽くす。
私の22年間の虚しい人生は、心の中に生まれた夢1つで希望にあふれた人生に変わりました。その夢は、ぼんやりとした夢ではありません。
1ヶ月後も、1年後も、3年後も変わることのない夢でした。
その夢は、窓際族になるまで10年以上続きました。
○夢は乗り物.
夢というと、多くの人は軽く捉えることでしょう。
しかし、夢や憧れは宿命の一種であり、乗り物のようなもので、ひとたびその夢が命に宿ると、人はどこまでも夢がある限り歩める性質があります。
私の夢は強固なものでした。
譬えるなら、1000㎞も離れた場所に宝があることを知り、そこに歩もうとしたとき、一瞬にしてクルマが目の前に現れ、私はそのクルマに乗って、運転を続ける‥そんなスゴイものを得たのです。
夢は、乗り物のエンジンとなり、時速5㎞もなかった私の歩みが、10倍にも20倍にもなったのです。
○夢のカタチ.
しかし、夢がその人を幸せにするかどうかは分かりません。
誇大妄想的な、突拍子もない実現不可能な夢もあるでしょう。
わざわざ不幸になるような夢もあります。
たとえば、泥棒になる夢の人もいるのですから。
良い夢とは、善なる夢であり、実現可能な夢ということになりましょう。
また、時ということも大事です。
年齢、タイミング、実力などです。
私は近視で、視力が悪かったし、体力もなかったので、小学生のときからできない職業を知っていました。
パイロットにはなれない。ボクサーにもなれない。勉強嫌いで頭が悪いので、教師にもなれない。イケメンではないから俳優にはなれないし、歌も下手くそだから歌手にもなれない。
「じゃあ、何になるんだ?」と、いろいろ考えるのです。
でも、何も浮かばないのです。
そんな真っ白な心のキャンバスに、未来のスケッチが描かれたのです。
後は、色を塗るだけ‥私の夢とはそういうものでした。
○一生の仕事と決める.
私が選択した仕事は、特別なものではありません。
少し、特殊でしたが、皆が尊敬するような仕事ではありません。
むしろ、地味で、3Kと呼ばれるような職種でした。職種は明かせませんが、周囲から見れば「レンガ積み」の話に近い職業なのです。
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ある労働者は「レンガを積んでいるだけだよ」と答えます。
しかし、ある労働者は目を輝かせながら「教会を造っている」と答えます。
私が憧れた職業とは、多くの人から見れば、レンガを積んでいるだけの作業にしか見えないでしょう。人によっては「つまんない仕事だな」と思われるでしょう。
けれど、私にとっては輝かしい、誇りに満ちた仕事だったのです。
私は、毎日、歓喜の中で働き、仕事を終えても歓喜の中で勉強しました。
無心に絵を描くように、努力を続けました。
そして、ある日、チャンスが訪れました。
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