☆長いトンネルを抜ける。
百万遍を唱え切ってしばらくして、私はある会社を見つけました。
規模は、業界としては中規模でしたが、社歴は10年少々の若い会社でした。
まだノウハウは不足しているようでした。
私が持っている技術がこの会社に必要とされるかも知れない‥
私は、履歴書と論文を送付しました。
○面接.
指定の日時に、その会社に出向きました。
背の高い人事部長に、私の職歴、技術内容を伝えました。
その日の夜、電話があり、2日後にもう一度来てほしいとのことでした。
行くと社長室に通されました。そこに社長と取締役がいました。
しばし対話が行われ、その社長は次のように言いました。
「設立したばかりの研究所で思う存分、仕事をしてはどうか」
次に待遇面の話し合いになりました。
給与は30万円、職場から家が遠いので、「引っ越し代を出すから近くに引っ越してはどうか」とも言われました。
私みたいなものに、そこまで心配りをしてくれる会社は過去にありませんでしたし、私の技術が役立てる会社でしたから、その条件で就職することにしました。
○新出発.
百万遍の唱題で、私は2つのことを祈りました。
それは家出をした妻が帰ってくること、もう1つは月収30万円の仕事でした。
仕事のことは、百万遍の途中から祈ったもので、最初からではありません。
1日1万円を稼ぐことができれば「一人前」という思いもありましたし、私の仕事が成功したと家出をした妻が感じてくれるとも思ったのです。
これはとっても大きな功徳でしたが、当時、妻は家出をしたままでしたから、その再就職が功徳とは感じられず、嬉しいと思えませんでした。
むしろ、過去の転職でひどい目に遭っていましたから、次の会社に期待を持つという気持ちになれなかったのです。
入り口で喜んでも地獄ということがあります。ともかく、私は引っ越し業者に頼み、引っ越し、指定された職場に出向きました。
新しい職場には、1人の博士と研究員3名がいました。
新設されたばかりの職場で、まだ実験装置は十分にありませんでした。
私は基本的に分析をできればよかったので、最低限の機材を入手し、すぐに現場に入って専門技術を使って調査を始めました。
○年収が2倍に.
私の仕事は、職場に好意的に受け入れられました。
と、いいますのも、私の技術で次々に仕事が来るようになったのです。
私の技術と組んで仕事をしたいという営業マンに引っ張りだこになったのです。
私は研究室よりも、むしろ現場を飛び回り、現場調査を主軸として一心不乱に仕事をしました。
契約がどんどん入り、経営者の人たちも大喜びで、入社1年もしないうちに私は係長となり、賞与もあわせ、あっという間に年収が過去の二倍になりました。
部下3名が与えられていた私は、やがて新卒の研究員7名が加わり、10人のチームの責任者になりました。
その後、私は30歳で課長、32歳で次長となり、35歳で部長に昇格しました。
多い時で、私が抱えた部下は50名を超えたことがあります。
当初、私は夢を持ち、一生懸命に頑張って不幸になりました。
その時の記事は、→
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そして百万遍を唱え、そこからまた一生懸命に頑張って幸せになりました。
その幸せとは仕事の成功と、仲の良い奥さんを得たことです。
このことを過去に「百万遍の功徳」と題して記事にしています。
百万遍の功徳は、→
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以上、27歳までを語りました。
妻の家出と転職とで悩み、生まれて初めて本気で信心して、体験を持ったことはとても大きな人生の分岐点になりました。
「福子が体験を積んだら凄いよ」と時々聞きますが、まことにその通りで、体験をしてから初めて、全てが理解できるものです。
しかしながら、人生は1つの勝利で決着が付くような単純なものではありません。30代には30代の、40代には40代の、50代には50代の悩みと苦難とがあるのです。
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