☆研究部門の二番手に収まる。
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背伸びをして、背伸びをして、でも届かない自分の実力‥
私は恐怖すら感じるようになりました。
お付き合いする人たちが格式の高い人々に変わり、そのレベルに合わせられない自分があったのです。
人は、分相応というものがあると思います。
器を超えた何かを盛ろうとしても、それは無理というものです。
零れ落ちてしまいます。責任が果たせなくなるのです。
○行きたくない世界.
私には夢がありました。
その夢は、大阪での研究会で出会った「憧れの人」の百分の一の人になりたいというものでした。当時の記事は、→
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私は、その人以上の立場になってしまったのです。
普通より、少し程度の良い生活がしたかっただけの私が、とんでもない立場になったのです。エリートの犇めく世界に私が歩んで行くことは“危険極まりない”ことに思えたのです。
周囲は、私を実力以上に見てしまっていたし、その実力を誰正しく知っていたのは、他ならぬ私自身でした。
「このままだと破滅してしまう‥」
そのように恐怖を感じたのです。
○恐ろしい現実.
ある日、アメリカの有名な博士と交流することになりました。
その博士は、ビキニ環礁の水爆実験の影響について、生物学的な研究を果たした人でした。
私がかかわっている分野と共通する部分があり、困ったことに対話をしなければならなくなりました。
通訳を介して話をするのですが、本当にヒヤヒヤもので、苦痛以外の何ものでもありませんでした。もはや、私の限界を超えた立場になっていたのです。
私は決意しました。「この役職は続けられない」と。
○責任回避.
私は、研究所責任者から降りる決意をしました。
そして、私の心情を数ページのワープロ文書に仕上げました。
そこには、次のような内容を書いたのです。
「私は野育ちです。学歴も教養もありません。
会社の規模と品質が高まり、私の器ではとてもその責任を果たせません。
どうか、他の優良企業から、当社の研究所にふさわしい責任者を入社いただけないでしょうか。私はそのふさわしい責任者を下から支えたいと思います」
その願いはすぐに聞き入れられませんでしたが、やがて一流企業から20歳年上の学識のある人が赴任され、私は二番手として仕事をすることになりました。
今でも、その安堵の事をよく覚えています。
「これで、安心して仕事ができる」と胸をなでおろしたのです。
しかし、別の災難が私に訪れることになりました。
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