☆2年3ヵ月の幽閉生活がスタート.
巧妙なトリックが施された悪魔の商品‥
もし、その商品と遭遇しなければ、2年余の幽閉生活はありませんでした。
幸か不幸か、私はその商品と出会い、地獄へと転落しました。
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忽然と、まさかの落とし穴に転落したのです。
私は再び地獄の中で、信心を再開しました
○一人ぼっち.
私は、その商品を販売し続ける事業部責任者の行動がまったく理解できませんでした。その理由が分かった(感じられた)のは最近のことです。
社会悪の商品の販売継続は、研究職で「正邪」を判別するだけの当時の私に理解できるものではありませんでした。
ともかく、私は事業部責任者と激しい口論となり、ある日を境に組織から外されました。そして、誰もいない居室の中に閉じ込められたのです。
デスクが運ばれ、その一室が私の職場になりました。
職場といっても、何も仕事がないのです。
朝、出社して日が暮れるまで、何の沙汰もありません。1ヵ月たち、半年たち、やがて1年、2年と時がたちましたが、何の変化もなかったのです。
一体、こんな意味不明の出来事が起こりうるものでしょうか?
インチキ商品を発見した。そしてその問題を指摘した。
しかし、会社上層部は「問題はない」と言って売り続ける‥
その問題をさらに追及した結果、私の2番手だった社員を登用し、私は組織から外され幽閉され、何の仕事も与えない。会議にも一切呼ばない。
私は一人ぼっちで、ただ椅子に座っている毎日を過ごしました。
○黙殺の理由.
なぜ、このようなことになったのでしょうか?
当時はまったく分からない出来事でしたが今は分かります。
理由は「事業部の売り上げのため」だったのです。
この商品が「売れる商品」だった。他に有力な商品がなかった。
もっと具体的に言うならば、この商品を取り扱い中止にすることは事業部の予算がクリアされない、すなわち、売り上げ達成ができない‥
だから、この商品を手放すことができなかったのです。
事業部の責任者は次のように考えたのでしょう。
「代替え商品が出るまで売り続けよう。それまでは仕方ない」と‥
今となっては、そういうことだったのだと思います。
では、その理由が分かっていたとして、私は抗議を中断できたでしょうか?
いいえ、私は批判を続けるしかなかったのです。
それは元部下たちが、問題の事実を知っていたからです。
「なかったことにしよう」なんてできるはずもないのです。
○地獄の底.
こうして、ふたたび地獄に堕ちたのです。
27歳のときの離婚劇の再来でした。
妻を突然失ったように、仕事を突然失ったのです。
40歳にして窓際族になりました。
好きな仕事を実力の範囲内でできるという“器にあった職場”を得た私。
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安穏とした職場が一瞬にして消え失せたのです。
一流企業から赴任した研究所の責任者は、私に言いました。
「私もおかしいと思うんだ。でも仕方ないよ。上の判断だから‥私たちの責任じゃないよ。あなたは言うこと言ったんだし、それでいいじゃないか」
当然、私と所長とのあいだでも口論になりました。
このとき、私はこの世の現実をまざまざと見たのです。
「保身だ!自分の生活のために生きている人だ!臆病な人なんだ!」
「長いものには巻かれろか!でも、私は闘うぞ!」
これが当時の私の気持ちです。怒り心頭になりました。
このことは、元部下たちや事業部門関係者には話しませんでした。
悪魔の商品が発端の左遷であるということを伝えては、大混乱になることが必定だからです。けれど、数名はこのことを知っていましたから話しました。
彼らには、「私は抵抗を続ける。これは私の仕事だから、あなたたちの仕事ではない。あなたたちは、与えられた仕事をまっすぐにやってくれ」と言いました。
万策尽き、怒りと悲しみに震えながら、御本尊の前に座り唱題しました。
しかし、私は、この状況が2年余に及ぶとは思っていませんでした。
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