☆一室に潜伏し抵抗を続ける.
レジスタンス.
レジスタンス(Resistance)とは「抵抗」「障害」を意味します。
外国による侵略などに対し、自由と解放を求める政治的抵抗運動も意味します。
フランス占領軍に対して行われたドイツの国民的抵抗運動や、ナチス・ドイツ占領下のフランスでの抵抗運動が有名です。
戦術としては、侵略者に対する政治分野でのいやがらせ、ゲリラ戦などがあります。市民や役人にまざり、権力者に抵抗する戦いを繰り広げるのです。このような抵抗を示す人たちのことをパルチザン(Partisan)と呼ぶことがあります。
私は、組織を外され、レジスタンス運動を繰り広げるパルチザンになりました。
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○戦術.
では、どのように戦ったか。
その戦術は、笑顔の無抵抗主義でした。
愚痴を一切言わず、沈黙しつつ平然と抵抗するのです。
敵の息のかかった偵察者が定期的に来ます。
勿論、職場の中心者の研究所所長は偵察者の最たるものです。
ずっと監視されていました。私は、笑顔で周囲に接しました。
その笑顔とは「へこたれてはいないよ!」との無言のメッセージです。
「でも、内部告発はしていないよ!」
これも組織を乱さない部長の務めです。^^
偵察者は何気に聞いてきます。
「あの商品はトラブルが多い。改善の余地はないかな?」
私は答えます。「ないですね」
「あれは救いようがないインチキ商品ですから‥」
すると偵察部隊の一員は苦笑しながら言います。
「代替え案がないんじゃしょうがないよ」
「それは単なる会社批判じゃないか」
私は笑顔で言うのです。
「しょうがない? 会社が後悔することにならなければいいのですがねぇ‥」
この皮肉たっぷりの対話は、裏で糸を引く人物に報告されるのです。
私は笑顔で「殺すなら殺せ。殺されたって軍門にはくだらないよ!」というメッセージを発信し続けました。
しかし、そんな対話はめったにありません。半年に1度ぐらいでしょうか。
相手は呆れた顔をして本社に帰り、後は、監禁された部屋に閉じ込められる生活が続くのです。
○私の武器.
相手の良心にメッセージを与える態度と言葉とが、私の抵抗ののろしであり、相手に痛みを与える銃弾でした。
「こんなこと、いつまでやりますか?」
「何も仕事をしていない人間に、部長職の給与と賞与を支払い続けますか?」
「私は迫害されても、絶対に屈服しないですよ」
「いっそのこと、クビにしますか?」
結局、そんなヤブヘビなことはできなかったのです。
もしクビにするというなら、逆に、私は反撃できるチャンスになります。
こうして2年3ヶ月が経過しました。
デスクに座るだけで部長職の給与が、毎月、支払われました。
賞与も規定通り支払われました。
「ウラヤマシイ!」と思われる人がいるかも知れない。
そう、この苦難は最後、楽しい生活に変わりました。
けれど、それは信心があったからです。
本当なら、こんな屈辱に耐えられるものではありません。
○反撃.
私はこの2年3ヵ月の間に、様々な戦いを挑みました。
その目玉となる戦いが「研究論文」の発表でした。
時間がありましたから大作が完成しました。
過去の研究の内容を論文に起こし、それをある研究会で発表し、その論文を社長、専務、常務、各種責任者に贈呈しました。
その研究の内容は、「ウソ情報には注意しましょう!」というもの。^^
勿論、それは“あのインチキ商品”の内容ではありません。
まったく別件の研究対象の論文です。
ともかく、「私は健在ですよ!」と示すことで無言の圧力を加えたのです。
それだけではありません。
マラソンを走り、そのことを朝礼で話し、仲間を集い、翌年は数人で走り、健康と対人関係の良さを最大限にアピールしました。
私はあらゆるチャレンジをしました。
歯医者に通い、歯をすっかり治療しました。
友人、親戚付き合いもしっかり果たすようになりました。
そして、いつクビになってもいい準備をしました。
持ち株を売り、家を売って、二件目の家を建てました。月々のローンの支払金額を圧縮し、転職に供えました。
私は、このレジスタンス運動で体質も住環境も一新させたのです。
その情報は、随時、圧制者の耳に伝えられたに違いありません。
へこたれない私、元気に明るくふるまう私に、相手は苦しんだことでしょう。
「なぜ、奴は平気なんだ?」
そう思ったに違いないのです。
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