☆2年3ヵ月の窓際生活が終了.
突然の社長交代でした。
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想像を絶する結果でした。時期的にみても「まさか」のタイミングでした。
社長交代の後も私を幽閉した責任者は会社に在籍していましたが、現実には相談役として存在しただけで、実質のラインにはいませんでした。
私は、この日を境として職場復帰しました。
○終了???
私は2年4ヵ月を楽しみにしていたのです。
おかしな話ですが、私は窓際族としての生活がすっかり板につき、信心が深まり、生命力が旺盛になっていました。
その中で、日蓮大聖人の佐渡流罪が2年4ヵ月であることを知り、「あと1ヵ月で佐渡流罪の期間と並ぶんだ」と内心喜んでいたのです。
御書は3度目の拝読をしている途中でしたし、結果がこの時点で出るとは思いも寄らなかったのです。ですから、2年3ヵ月で終わったことに呆然としたのです。
ともかく、「地獄の苦しみぱっと消えて」との御書の通りの現実が生まれました。
(以下は、転重軽受法門・1000ページより)
「涅槃経に転重軽受と申す法門あり
先業の重き 今生につきずして 未来に地獄の苦を 受くべきが
今生にかかる 重苦に値い候へば 地獄の苦み ぱつときへて 死に候へば
人天 三乗 一乗の益を うる事の候」
○職場復帰.
私は、不思議なことにリストラの対象になりませんでした。本当に驚いたのですが、新社長の就任に伴い、私は研究所の責任者として正式な任命を頂き、完全な職場復帰を果たすことができました。
この時、新社長は、「私の懐刀として頑張ってもらいたい」とまで言ってくれました。私は歓喜して職場に戻り、過去の仲間たちと仕事を再開しました。
やがて、私を幽閉した事業部長は退社しました。
平成不況の真っ只中で「窓際族」が家を建て直し、完全な職場復帰ができたことは不思議なことでした。
この仏法は「おとぎ話」ではありませんでした。
本当に力ある宗教であることを、私は身をもって知りました。
まさに、「仏法とは道理なり。道理とは主に勝つものなり」又「わざわいの幸はこれなり。騒ぎが大なる幸となるなり」のご金言の通りでした。
○体験発表.
ほどなくして、私は地区で体験発表をいたしました。その1カ月後には支部で、さらにその1ヶ月後には県の壮年大会で体験発表をしました。
県の発表大会では、会場を埋め尽くす700人の同志の前で、短くまとめた原稿用紙で発表いたしました。
窓際族になって300万遍を唱え、御書を読み、折伏して、心が変わり、マラソンが走れる健康な体になり、家を建て直し職場復帰したこと‥
ありとあらゆる願いが現実のものになったこと‥
その奇想天外の物語を原稿用紙2枚にまとめ、声の限りに読み上げました。
会場から、爆笑やオーッ!というどよめきが起こりました。
私は大歓喜の中で発表を終えました。
その後も、私の心には広宣流布への闘魂が炎のように燃えていました。
「等身大の広宣流布を果たそう!」「成しうる全てを成そう!」
私は嬉しくて、嬉しくて仕方ありませんでした。
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