☆批判の嵐にさらされたノーベル.
公明新聞(10月9日)に掲載されたノーベルの写真を添付します。
本日の公明新聞にノーベルに関する話がありました。
アルフレッド・ノーベルは、1833年にスエーデン生まれ。
ダイナマイトを発明し、355件の特許を取得したノーベルは、世界20カ国に93のダイナマイト製造工場を建設、その普及、拡販に力を注ぎました。結果、ヨーロッパ最大の巨万の富を築きました。
以下に、公明新聞のノーベルの記事を示します。
ノーベル が開発したダイナマイトは、鉄鉱石、石炭、銅など、地下資源の採掘、開発などの鉱山分野で絶大な威力を発揮し、他方、鉄道、トンネル、地下鉄、運河建設など土木分野で大きく世界に貢献した。
巨万の富を得たノーベルが1896年に死去すると、遺産の行方が注目された。(ノーベルは生涯独身であったことから妻子はいない)
死後、注目された遺書が開封された。
遺贈は甥、姪6名と、知人合せて19名、総額で全体の5%も満たないものであり、残りの遺産はノーベル賞に充てられていた。
「残りの換金可能な私のすべての財産をもって基金を創設し、その利子は毎年、物理学、化学、医学生理学、文学、平和の5つの分野で、人類にもっとも大きな貢献をなした人に賞の形で与える」というものであった。
遺書の内容 が国中の知るところになると、大きな非難、反対論の嵐となった。
その主たるものは、①遺族の猛反対(取り分が少な過ぎる)、②外国人にこのような大きな名誉を賞を与えるとは何たることか、③選考機関に指名された学術団体なのどへの反対(利害関係)、④平和賞の選考をノルウェーに委ねたことへの非難、などがある。
大きな非難が渦巻く中、極めて重要な役割を果たしたのが、ノーベルの信頼が極めて厚い部下であったラグナール・ソールマンだった。
彼は、多くの利害関係者をねばり強く説き伏せて、ノーベルの死後3年半にして、遺言実行機関の元締めとしてノーベル財団の設立が実現した。
そして、死後5年、1901年12月10日、ノーベルの命日の日に第一回ノーベル賞授与式が行われた。
以来、今日までノーベル賞は、ノーベル財団と選考機関の真摯な努力の積み重ねによって、世界最高の権威と栄誉の賞として輝き続けている。
ノーベル賞 のような非の打ちどころのない素晴らしい事業ですら、非難の嵐が吹き荒れたのです。
私は掲載されていたノーベルの顔写真をまじまじと見入りました。
口ひげをたくわえ、左手を顎に当てているノーベルは、美しい未来を見通しているかのようです。
この「怒りの正体」シリーズにおいて、各人各様の「べき」が対立を生み、激しい抗争を巻き起こすことを述べてきましたが、時代、国に関係なく、永遠にこのようなことは続くことでしょう。
ネットでのストーカー紛いの批判も続きます。
口汚い学会批判も永遠に続くのです。
前回、「猪の金山を摺り」を例として記事を書きました。
猪の金山記事は、→
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行動すれば、必ず障害物が現われる。これは当たり前のことです。
出る杭は打たれ、目立つ存在には必ず嫉妬や利害関係からの妨害が発生します。このことを私たちは肝に銘じ、そういう無理解で独りよがりな批判や攻撃に断じて負けない強い決意を持つことです。
批判にいちいち反応する時間などあろうはずもありません。
やらなければならない使命を果たすことに時間を使うべきです。
悔しい思いをしたら、お題目を唱えること。
1つ1つ価値あることを積み重ねていく。そして福運を積んでいく。
そうすれば、嫉妬や利害に血眼になっている輩による批判すら、正義を証明する勲章となります。
そして最終的に、悪意の人の「ふりまく毒」は、とどのつまり悪意の人自身の中を巡るのです。こうして実証で決着がつきます。
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