☆仕事を恐れる皆さまへ.
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題目を唱える人さんからは御返事がありません。
でも、このテーマは数多くの方々が同様のことで悩まれていますし、お話を続けたいと思います。
KOZUさんのコメントから、思うことを記したいと思います。
>「題目を唱える人」さんは弱っている、元気がない状態なんだと思います。僕の20代の部員さんも、昨年 仕事についたばかりでやめてしまいました。職場が厳しすぎてついていけなかったそうです。
そして、自信も喪失してしまい、日に日に元気がなくなっていきました。
元気がない 状態というより、「元気が出ない状態」ではないかと私は思うのです。そもそも、地に足がついた仕事をしていないのに元気が出るはずもないからです。
元気は仕事をしない限り出ないでしょう。
私が、このテーマをわざわざ取り上げて別記事にしているのは、「仕事をしない状態」は精神を病ませる原因になるからです。
男は仕事です。仕事がなければ幸福の源(みなもと)がないに等しい。
勿論、病気や身体上のハンディがあって、できないというのは別の話になります。また、大金持ちで、仕事をする必要がない、と言う人も別の話になります。しかし、その他の立場なら仕事は必須であり、おそらく、仕事をしないで幸福になる男性は皆無でしょう。
仕事はしなければならない。そして、その仕事をできるようになれば、一人前だし、幸せなのです。
多くの人々は、幸せになりたいから、必死で仕事を探し、訓練し、仕事ができるようになります。
逃げられない。とにかくやるしかない。
仕事とはそういうものだと思います。
20代の部員さん は、最初のチャレンジに失敗した。
私自身も、何度も失敗し、ひとまずの成功体験を掴むまでは、元気の出ない日々が続きました。仕事は、最初の3ヶ月がキツく、半年が山場で、1年後が安定期になり、3年が1人前です。
続かない場合のほとんどは、半年で諦めるものです。
でも、それは悪いことでもなんでもなく、そういう失敗を繰り返しながら、もがいてもがいて、ある日「発見」をする。
「これなら続けられるんじゃないか」という発見です。
そのために、当たって砕けろで、何でも「やったもの勝ち」です。
あれこれ考えても、そもそも判断基準となる体験がないのですから、何が良い仕事で、何が悪い仕事なのかが分からない。
延々と悩んでお題目を唱え、あれこれ思案して時間を浪費するより、まず、面接に行って、何でもいいから仕事をして、給料をもらいつつ「自分にあった仕事とは何か」を考えた方が100倍勝ると思うのです。
「こういう人になりたい」「こんな仕事をしたい」とビジョンが生れたら信心すればよい。私はそのぐらい現実主義的な考えです。
題目の功徳 を強調する人の中に、何でもかんでもお題目で願いが叶うと結論付けられる人もいますが、私は「祈祷師」のような信仰には賛同できません。
第一、学会員以外の人は、信心していないのに様々な仕事をしている。
お題目を唱えなくても仕事で幸せな人は星の数ほどいる。
受験勉強も同じです。勉強しないで祈って受験を突破することなんてできない。むしろ、題目の時間を削っても勉強時間を増やさなければならない。何かの資格を取るのに、勉強しないでお題目を長時間唱えるというのはオカシイです。
健康もそうです。医者にかからないでお題目で治すという人がいる。
「医者にかからない」というのは極端です。
世間並みの治療は受けないと治りません。
私は先日、花粉症?で喘息になっていた。
この治療において、私は一遍たりとも題目を唱えていません。
私は市販薬を呑んだだけ。そして、私の喘息は治りました。
その市販薬の記事は、→
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大事なことは、世間法も仏法だということです。
世間法を軽視するのは、仏法を軽視するのと同じです。
世間の経済活動も仏道修行なのだと私は思います。
次回、さらに「両親からあまり褒めてもらえず、叱られてばかりで育ちました」ということについて語りたいと思います。
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