☆強く美しく生きましょう!
いろいろな角度からシリーズを書きました。
創価の森ブログとしては珍しく、きわどいところまで表現しました。
まだ、この何倍も語れますがここで終わります。
なぜ赤裸々に語ったのか。
それは悲惨な浮気の問題が世の中には多いことを示すことで免疫力を持っていただきたいと考えたからです。
純粋な人であればあるほど裏切へのショックは大きい。
純粋なことは素晴らしいことですが、純粋に生きることは簡単なことではあません。現実の世の中は、考えられないほど薄汚れた世界です。
周囲が薄汚れたものであっても、少なくとも私たちは清く美しく生きようではありませんか。その清さと美しさこそ、真実の幸福ですから。
つまり、美しい人生は仏道修行にしかない。
浮気をされても馬鹿にされても信心。
その修行の道の向こうに成仏がある、幸福があります。
だから、本気で祈ってほしい、祈り切ってほしい。
私、「捨てられてよかった」と申し上げました。
その記事は、→
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もし、私、捨てられなかったら成長しなかったと思います。
捨てられたら辛い。でもその中から多くのことを学ぶ。
多くの人たちは、捨てる人が勝ちで捨てられる人が負けのように思っているかも知れない。
でも違いますよ。
捨てる人間は幸せになることはできませんから。
多少の幸せは得られるかも知れない。でも偽物の幸せ。
捨てる人間には思いやりがない。人の痛みが分からない。利他という大きく深い喜びがない。だから本当の幸福は得られない。
苦しみの中で唱える題目の福運は途方もないものです。
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(329)です。
苦労した人ほど幸せになれるのです。
清く美しい人生の素晴らしさを知ることができるのです。
感謝を、同苦を、小欲知足を得ることができる。
平凡な生活に大きな喜びを感じられるのです。
捨てた人は間違いなく後悔します。
産み育ててくれた親を放置し、伴侶を放置し、子を放置し、欲望のまま遊楽にふけり、その時は楽しくてもいつか悔やむ。
佐渡御書(958)に以下の御文があります。
「父母を打子あり 阿闍世王なり 仏阿羅漢を殺し 血を出す者あり 提婆達多 是なり六臣これをほめ 瞿伽利等 これを悦ぶ」
「一旦は悦ぶなるべし 後には彼等が歎き 日蓮が一門に劣るべからず」
「法華経に云く「悪鬼入其身」と是なり」
自らの罪は自らが裁き、自らに罰を与えるのです。
どうか裏切られた皆さま、負けないでください!
雄々しく創価と共に人生を歩んでください!
宿業を今生に転換しましょう!
以上で浮気と離婚シリーズを終了します。
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