☆使命なき人の空虚な心.
このシリーズは、哲学的な意味合いになっています。
非公開さんの「使命とは何か」という問いは哲学の分野の問いかけです。
しかし、使命は得ようとしても即座に得られるものではありません。
そもそも、使命の道は「見つけたいと思って探すもの」ではない。
周囲の人たちや、遠方の出来事ばかりをきょろきょろ見ていても使命は見えない。むしろ使命は「自分自身の体験」から「自分の足元」で気づくものだから。
当シリーズの冒頭、私は「使命とは悲願。強烈無比な憧れであり、すべてを犠牲にしても果たさなければならない人生の目的」と申し上げた。
そして、「使命とはこの世で一番美しく、輝かしく、誉れあるもの。その使命を果たすことは即、自らの人生の勝利であり、満足であり、納得であるというような途方もないもの」とも申し上げました。
http://sokamori2.exblog.jp/26241858/
前回の記事では、私はひらがな御書の使命と題し、「「何としても果たさなければならない」と強い決意。主体者として立ち上がる、一人立つ決意。使命とは悟りの一種ではないでしょうか」と申し上げました。
http://sokamori2.exblog.jp/26260996/
私自身、強い使命の自覚があります。
果たせないことへのいら立ちや自己嫌悪も生まれますが、それでも使命はありがたく、私の幸福の基(もとい)となっています。
使命は人生の宝と呼べるほど重大なもの。
イケメンに生れた、頭がよい、健康に恵まれている、親が金持ちだ、一流大学を出た、異性にもてる、世界旅行をしたなど、人もうらやむことがあっても、使命に通じる道はそこには見当たらない。
どんなに健康や美貌があっても、そこには使命はない。
使命を果たすのにお金も健康も必要ですが、それらは手段であって使命ではない。使命がなければ、全部、宝の持ち腐れです。
海の向こうに島がある。あの島に行きたい。
そこに行くのに舟が必要だ。その場合、舟は重要な意味を持つ。
一方、砂漠の向こうにオアシスがある。オアシスに生きたい。
その砂漠の上に舟があったらどうだろうか。
その舟に価値はあるだろうか。何の意味もないだろう。
砂漠の上の舟など、無用の長物です。
お金も健康も同じで、何かを成すためには必要であっても、必要以上にあったところで、それは不確実な未来の安心や安全の担保になるにせよ、重要な価値にはなりません。
先日、「多くの人が後悔していること」と題し、記事を書きました。
アメリカでの80歳以上の老人のアンケート調査で、「人生で最も後悔していること」とは何かと問い、70%の人が「チャレンジしなかったこと」と答えたというもの。
http://sokafree.exblog.jp/26257694/
人は行動して失敗のリスクを秤にかけます。
やりたいこと、やるべきことが心の中で分かっていても、リスクを回避したいという思いから行動をためらう。
使命の心が芽生えても、臆病ゆえにやらない人も多い。
だから、チャレンジしないで後悔する人が多い。
いずれにしても、人生を真面目に受け止め、人生に心から満足したいという人にとって、使命なき日々の生活は苦痛でしょう。
使命なき人生は、健康もお金もないに等しい。
ですから、どうしても使命が必要ですね。
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