☆一切衆生喜見仏へ.
お二人に聞きたいことは「どうしたいのですか?」ということ。
以前も書きましたね、信心の根本の方程式を。
「私は祈って変わるんだ!」ということ。
問われるのは「どんな人に変わるのか」です。
就職するなら会社に履歴書を書いて祈りつつ提出する。
面接を受けながら受ける。面接を突破し、入社うることになったら、入社後のことを具体的に祈る。
朝8時半に出社し、朝礼に遅刻せず、まず1ヶ月をしっかり勤め上げる。
次に3か月後の自分の目標を掲げ、祈り、行動する。
次に半年、次に1年と、そんなふうに祈り行動する・・
漠然と祈るのではない。具体的に鮮明な未来を思い描き、祈り、努力するのです。その時、願いが叶わないということはありません。
「進もうとする道」があり、「歩み通す決意」があり、そこに「祈り」が加わり、そして「行動」があるなら必ず結果が出るのです。
すなわち、「決めて、祈って、行動する」という方程式です。
http://sokamori2.exblog.jp/24605905
「一切世間喜見仏」という仏がいます。
報恩抄329ページには、「摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生喜見仏とならじ」とあり、大田殿女房御返事1013ページには、「憍曇弥と申せし女人は仏にきんばら衣をまいらせて一切衆生喜見仏となり給うとあり、妙法比丘尼御前御返事1419ページには、「法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され、一切衆生喜見仏と成らせ給いしは・いくら程か・うれしく悦ばしくをはしけん」とあり、妙法比丘尼御前御返事1420ページには、「彼の比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず、今の妙法尼御前の名にて候べし」とあります。
手持ちの仏教哲学大辞典には詳しく意味が述べられておりませんが、一切世間喜見仏とは「一切のあらゆる衆生を見て喜ぶ仏」という意味ではないかと私は個人的に考えています。
一切の人を見て歓喜できる・・
そうであるならこの人は大いに幸せな人です。
仏法で言う一切衆生の意味は、「上は仏界(菩薩界)から下は地獄界に至る一切の衆生」であり、この衆生の一切に「仏性がある」ことを悟り、これを見て知って歓喜する心を持つ仏(如来)との意味になるのだと思います。もし、そういう意味であるなら、凄い境涯です。
その境涯があるなら、対人関係に悩むことはないでしょう。
仏法では「四恩(しおん)」の教えがありますね。
その1つが「一切衆生の恩」です。
一切衆生の恩とは「十法界因果抄」に「一切衆生は互いに相助くる恩重し」(435)とあり、また四恩抄に「一切衆生なくば(中略)、悪人無くして菩薩に留難をなさずばいかでか功徳をば増長せしめ候べき」(937)とあります。
この意味は、「正法を知らずに謗法(ほうぼう)を犯している衆生がいるからこそ、彼らを救済できる。また、悪口罵詈等の難を受けるがゆえに自己の罪障消滅と強盛な信心を貫き自身の成仏が可能になる恩がある」との意味です。(以上、仏法哲学大辞典94ページより)
この大恩ゆえに、一切衆生を折伏する報恩を果たさなければならない、というのが仏法の教えです。
シングルマザーさんにも社会支援生活者さんにも対人の恐怖があるのですが、ぜひ「一切世間喜見仏」となっていただきたいのです。
人の不完全を許し、人の幸福を望み、人に仏性を見出して、大いに人々を愛して接する人になっていただきたい。
そういう人なら、どんな夫であっても幸せになれますから。
仏法では欠点にすら感謝し、報恩することを教えているのです。
その心は、自身を仏とする縁と受け止めるからです。
善友に報恩するのは当然ですが、悪友にも報恩のために折伏するのです。
怨みで折伏するのではない。報恩で折伏する。
その大慈悲の境涯、仏の大境涯があれば、この世は仏国土であり、寂光土になります。そうすれば、対人関係は円滑になります。
そのための「決めて、祈って、行動する」なのです。
そのための「信・行・学」です。
どうかシングルマザーさんと社会支援生活者さん、決意ですよ。
決意して、祈って、行動ですよ。
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