☆19年の会長職を勇退.
山崎正友、さらに宗門らによって、池田会長は辞任に追い込まれた。
その根底にあるものは何だろうか。嫉妬、名聞名利、権力闘争か。
まだ、その原因は語られていない。ともかく、創価学会は魔の攻撃にさらされ、その圧力に一時的に後退することになった。
池田先生は「宗門が創価学会に圧力をかけて辞めさせるなどという前例を絶対につくってはならない」との決意から、世界広宣流布への一層の前進を果たすために、あえて会長を勇退することを決意された。
4月22日、総本山にて日達と会見。
法華講総講頭と会長辞任を正式に申し出る。
この総本山の内容は、詳細に記されていない。
日達が何を言い、どのように接し、どんな口調で、どんな表情かもうかがい知ることはできない。
「4月26日に辞表を提出する所存であることを告げた」の一文のみである。日達の心情はいかなるものがあったのか。
おそらく、池田先生はこのことを今後も語られないであろう。
1979年4月24日、池田先生は総講頭辞任の2日前に会長を辞任された。
その辞任に当たって、理事長の北条が県長会で池田会長の勇退を発表し、場内は突然の発表に騒然となった。
発表に場内の県幹部は一同に衝撃を受け沈黙した。
そこに池田会長が姿を現した。会場から声が上がった。
「先生!辞めないでください!」
すすり泣きがもれ、それは次第に大きくなり、号泣する人もいた。
池田会長はこの日、総務会において会長辞任を申し出て受理された。
新会長に北条、新理事長に森田が就任した。
池田会長は名誉会長となった。
池田先生は、この会長勇退の折の記者会見を終了した後、青年幹部に次のように指導されている。
「弟子の本当の勝負はすべきは、日々、師匠に指導を受けながら戦っているときではない。それは、いわば訓練期間だ。
師が直接、指揮を執らなくなった時こそが勝負だ。
師が身を引くと、わがまま放題になり、学会精神を忘れる人がいる。
戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。
君たちは、断じてそうなってはならない。
私に代わって、さっそうと立ち上がるんだ。
皆が“伸一”になるんだ!」・・
池田先生がテレビのニュースに登場したとき、私は19歳だった。
私は、この時の記者会見の池田先生の姿をTVでこの目で見ている。
そのときの池田先生は笑みをたたえていたように記憶している。
しかし、その突然の出来事はあまりなこと。全学会員が衝撃を受けた。
私は信心がなかったけれど、大ショックを受けた。
会長か名誉会長になるということが、池田先生を遠い人にしてしまったように思え、無性に寂しく、無性に悲しく、TV画面を見ながら泣いた。
憔悴した心が、さらに憔悴して空しくて仕方なかった。
「これから池田先生のことを学ぼうとしていたのに」・・
悔しかった。暗い青春が、さらに暗くなった。
当時、勇退の理由は、未熟な私にはまったく分かりませんでした。
学会と宗門との間にこれほどの確執があるとも知らなかったのです。
今、当時のことが小説 人間革命につづられている。
36年の時空を超えて、明かされる真実・・
さらに大注目の新・人間革命です。
小説・新人間革命30巻感想文カテゴリは以下のURLです。
http://sokamori2.exblog.jp/i49
<別館>ブログトップへ