☆最後は御本尊様です.
「美人は必ずねたまれる」との御書があります。
どの御書にあったか分からなかったのですが、ありがたいことに非公開の方が教えてくださいました。
非公開さん、ありがとうございました!
石は玉をふくむ故にくだかれ 鹿は皮肉の故に殺され
魚はあぢはひある故にとらる すい(翠)は羽ある故にやぶらる
女人はみめかたちよければ必ずねたまる 此の意(こころ)なるべきか
日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あって種種の大難にあヘり.
(弥源太殿御返事 1226ページ)
魅力があるから砕かれ、殺され、搾取される。
女性はみめかたちが良ければ“必ず”ねたまれる・・
この世に美しいことが嫌いな人はおりません。
美しさとは形だけではなく、髪型や服装なども含まれます。
ピカソの絵のような顔でも額縁が豪華なら美しいものです。
髪型は額縁だと教えてくれた人がおります。
私はピカソの絵のような顔なので髪型だけはきちんとしています。
ねたみ、嫉妬というのは美人だけの特権ではありませんね。
能力、育ちなど、あらゆる秀出た状態に影のように寄り添うのです。
「若い」というだけでねたまれ、ひどい目にあうこともあります。
ある知人は、高齢者のサークルで能力を発揮しました。
そのことで若くして有名になったのですが、古い人たちが焼きもちをやいて意地悪をするのです。
「若いくせに!」という意味不明の嫉妬です。
私はイケメンということでねたまれたことはありません。
残念というか、幸いというか、なさけないというか。
でも、能力でねたまれたことはあります。
私は、仕事上で必要以上に目立たないように努力してきました。
チカラを発揮するときは100%出しますが、いつもではありません。
わざとチカラをセーブして、そこそこの仕事することも沢山あった。
勝ち過ぎてはいけないからです。そこそこ勝つ。ときに負けてあげる。
周囲とのバランスを考える必要があるからです。
それがいいのかどうかは知りません。
ただ、私はそうして生きてきました。
このような話をするとアンチの人から「また、菊川の自慢話が始まった!」と批判されるのです。でもそういう批判も、今となっては嫉妬の一種なんだろうと思います。
ネットで山ほど「自慢話!」「自我自賛!」「売名行為!」と批判されてきました。功徳を得た体験を話しているに過ぎないのに、です。
今はどんなに批判されようと何とも思いません。
さて、そんな私にも嫉妬の心がない訳ではありません。
私にも嫉妬の気持ちの1つや2つはあります。
でも、嫉妬の心が出ると、「あっ、いかん!」とぱっと捨てるのです。
嫉妬する自分が許せないのです。
卑しい人間の心が嫌でたまらないのです。
「嫉妬をする人間には死んでもならない!」と決意しているから。
ですから自身の嫉妬心で苦しむことは一切ありません。
(嫉妬は、嫉妬をする人自身を苦しめますから)
先生は宗門に徹底して嫉妬され、意地悪され、会長職を追われました。
今、新・人間革命に池田先生の体験が書かれていますね。
どうです? シングルマザーさん。
同じですよ。先生の会長勇退も宗門の嫉妬が原因ですから。
シングルマザーさんの何千倍も嫉妬され、いじめ抜かれた人生ですね。
池田先生はどのように生きたか。先生の生き方が答えですよ。
池田先生は美しく強い。一方、日顕は醜く気持ち悪い。
妬み、嫉妬に負けない強い心の作りかた・・
それは確固たる使命感とお題目、御書しかない。
私だって嫌になること一杯ありますよ。
エゴや恨みつらみ、他人の不幸の上に自らの幸福を築くカネの亡者たちを見て、吐き気もする。腹も立つ。ばかばかしくなる。
そんな人と付き合いたくないですが、付き合わないといけない。
でもね、それが世の中だし、突き詰めればそういう人たちは可哀そうな人なんです。戦ってもしょうがない。救うしかない。
乗り越える方法はただ一つ「仏になる」ことです。
仏とは、利他に生きることを無上の喜びとする人のことです。
具体的には創価学会仏であり、模範は池田先生です。
あるいは四条金吾や妙法尼や南条時光ですね。
御書に、小説人間革命に、私たちのモデルとなる仏様が沢山おられます。
その仏様に、あなた様自身がならなければならない。
あなたが仏になれば美人の長所は100%生かされるのです。
逆に美人でない人も、仏になれば美人でないことが長所として生かされるのです。ですから最後は全部、御本尊様です。祈り切ること。
信じきる。宿命転換を祈りきる。
これからがあなた様の本当の修行ですよ。
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