☆見えない日達の真実.
以下の内容はあくまで私の個人的な感想・推理です。
新人間革命「大山」で、ついに法華講総講頭の辞任が語られました。
総講頭の辞任は以下の文章のみで終わりました。
>26日、伸一は静岡県・富士宮の宗門の総本山に、法主・日達を訪ね、法華講総講頭の辞表を提出した。その折、日達からは、長年にわたり宗門の隆盛に尽くしてきた伸一の功労をねぎらう言葉があり、法華講名誉総講頭の辞令が渡された。
ただこれだけの記述でした。驚くほど少ない、最低限の記述・・
先生がこの象徴的な法華講総講頭の辞任の日のことを詳細に語られること避けられたことについて、私は次のように思いました。
私が個人的に思うことは「日達自身も山崎正友に踊らされていた」のではないか、ということです。
日達は善僧でしたが、宗門の怒りを抑えず、会長を勇退させたのです。
宗内の感情が高まったとしても、日達が池田会長と真剣な話し合いをして事実の掌握をしたなら、和合は保たれたはずです。
今も当時も、法主の権限は絶対だからです。
しかしそうはならなかった。「功労をねぎらう言葉があり」は確かにあったのでしょうが、結局、池田会長に責任を取らせた。
日達は結局、池田会長辞任を望んだとも言えると思います。
勿論、日達とて悩んだに違いありません。
けれど宗門や日達の問題は、魔を魔と見破ることができなかった。
しいて言えば、この段階では山崎正友を学会側も魔と見破れなかった。
池田先生は歯牙にもかけずに勇退され、次なる戦いを開始された。
日達は会長勇退の3か月後に突如急死します。
死について思うことがありますけれど、あえて申し上げません。
ともかく急死に伴い血脈相承がなされないまま、日顕が法主の座につきました。日顕は学会をわがものにできると思っていたのではないか。
しかし、池田名誉会長の人気は衰えなかった。
池田先生の活躍はさらに大きくなった。
やがて日顕の嫉妬は復讐心となり、C作戦決行へと動く・・
そして池田名誉会長の破門という暴挙に出ます。
そもそも宗門は学会の赤誠の供養で豊かになったのです。
国内で比類なき寺院数に発展し、かつ、贅沢な生活ができた。
彼らは袈裟を着て優雅に振舞い、高額の所得を得た。
寺院の維持管理は召使のように職員や学会員が行った。
彼らとその家族は、王様のごとく豊かな生活をしたのです。
宗門には折伏精神がありませんでした。
彼らは極楽百年の修行をしていた。
彼らには慈悲がなかった。わがままだった。
でも学会員は違う。穢土の中に生き、懸命に修行した。
広宣流布に邁進した。あらゆる分野で実証を示した。
その最高の憧れこそ池田先生でした。
学会員の憧れは僧侶などにあろうはずはないのです。
頭を剃り、袈裟を着て、現実離れした彼らを好きになるはずはない。
確かに木でできた黒塗り金文字の御本尊は見事であった。
そして大聖人直系の正宗の伝統は誇りでもあった。
けれど、会員の希望は創価学会にあったし、牧口先生、戸田先生、池田先生の師弟不二の人生こそが憧れだったのです。
宗門はその会員の心をまったく知らなかった。
宗門は欲をかいた。そのあげく、魔僧・日顕を生んだ。
仏法史上最大の悪魔日顕。宗門は邪宗門となった。
池田先生は、必ず日顕の姿を記されることでしょう。
池田先生の記述を待ちたいと思います。
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