☆学会と日顕宗の違い.
以下、新人間革命・雌伏53より.
幹部は決して威張ったり、人を叱ってはいけない。
どこまでも仏子として敬い、大切に接していくことです。
戸田先生は弟子を叱られることがあったが、そこには深い意味がありました。第一に広宣流布のために弟子を訓練し、自分と同じ境涯に高め、一切を託そうとされる場合です。
その人が担っいく責任が重いだけに厳しく叱咤されることがあった。
第二に、魔に信心を妨げられている人を、どうしても立ち上がらせたいという時に、その魔を打ち破るために叱られた。
人間には、直情傾向であるために皆と調和できない人や、自滅的な考えに陥ってしまう人、困難を避けて通ろうとする人、いざとなると責任転換をしたり、ごまかそうとしたりする人がいます。
そうした傾向性や、その背後に潜む弱さ、ずるさ、臆病が一凶となり、魔となって、自信の成長を妨げ、さらに幸福の道を誤らせてしまう。
ゆえに戸田先生は、その一凶を自覚させ、断ち切るために叱られることがありました。
第三に、多くの人に迷惑をかけ、広宣流布の団結を乱している時などは、本人のため、皆のために、それをやめさせようとして叱ることがありました。つまり、戸田先生の一念の奥底にあるものは大慈大悲でした。
それもわからず、言葉の一端を真似て、同志を叱るようなことがあっては絶対にならないし、どんな幹部にもそんな権利はありません。誤りを正す場合にも、諄々(じゅんじゅん)と話していけばよいことです。
以下、新人間革命・雌伏54より.
幹部は会員の意思をどこまでも尊重し、相手を傷つけるようなことがないように、心してください。
全員が素直に話を聞いてくれるわけではありません。
大きな心で皆を包み、幸せになるように全力を注ぎ、忍耐強く励ましていくなかに仏道修行があります。
その苦労が、自身の功徳、福運となっていきます。
以上、雌伏53、54から抜粋いたしました。
世の中には瞬間湯沸かし器のような直情人間がいる。
その筆頭が阿部日顕です。それに不二の僧侶たちです。
否、直情人間に加え、宗門は嫉妬の塊でありました。
日顕宗は即、直情宗であり、嫉妬宗です。
宗とは「むね」と読み「根本」という意味です。
日顕宗は、忍耐力に欠ける、嫉妬を根本とする宗教ということになる。
彼らは、池田先生に嫉妬し、重箱の隅をつつき、あらさがしをして難癖をつけ、ついには会長職を辞任させ、もって最終的に破門までした。
彼らの思考と行動の対極にあるのが池田先生です。
「諄々と語り、決して叱らない」
この先生の歩みを心肝に染めて私は歩んでまいります。
追記:昔の私は直情人間でした。日顕のようなものです。
けれど、信心をして、忍耐強くなったし、自分で申し上げるのもなんですが、かなり、人間革命してしまったのです。
意見の違う人と調和できない、自滅的な考えに陥ってしまう、
そんな人間でも人間革命できるのです。
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