☆Aさんも悩んでいる.
45歳前後というのは能力がピークの時代です。
Aさんは、日の出の勢いの時代でしょう。
Aさんにはいつもスポットライトが当たる。
一方、ばばんださん(以下、Bと呼ぶ)に光は当たらない。
でも、Bさんとて組織の中では中堅どころでしょう。
私は過去、Aさんだったこともあるし、Bさんだったこともあります。
人生、上を見ればきりがなく、下を見てもきりがない。
でも、まず、ここで知ってもらいたいのは、「上が幸福」で「下が不幸」ということはないということです。
上位の人は勝ちパターンというのがあるけれど、下位の人にもちゃんと勝ちパターンがある。逆に言えば、上位者には上位者の悩みもあるのです。
ぱぱんださんに知ってもらいたいのは、あなた様の悩みは今すぐにでも解決するということなのです。
でも、それは簡単なようで簡単ではないことも知っています。
それは「心を入れ替える」というようなもので、考え方、受け止め方をかえるだけなのですが、だからといってスッとは変えられないのです。
たとえ、私が答えを申し上げ、頭では理解できても、心から納得し、その心を手に入れられるかというと、そんな単純なものでもありません。
私は「潰された」経験は何度もあります。
その一つが、あの2年3カ月の「窓際族」です。
sokanomori.exblog.jp/15414796
能力があり、貢献できるのに、チャンスを与えられない苦しみ。
無視され、孤立化し、放置されるのです。
私はクビにされることは疑いないことでした。
業績が悪くなり、人員整理になるならその第一号でした。
私はそれでもいいと思いました。私はクビになってもいいように体を鍛え、どう転ぼうと生き抜ける体制を作ろうと思いました。
ぱぱんださんは、このときの私ほどひどくはないでしょう。
少なくとも、やるべき仕事、給与分の実務はあるのですから。
「存在意義」は実務がある限り存在する。
少なくともあなた様には、育み、激励できる生徒がいる。
まず、その基盤があることに感謝してほしいです。
さて、私は30年間、Aさんのように生きる局面が多かったのです。
数多くの意見を潰してきました。多くの人は悩んでいたかも知れません。
でも、私も悩んでいました。それは「思い通りにならない」からです。
何かを提案して、その方向が決まっても、では組織がその方向に動くかというと動かないのです。足を引っ張る人、せっかく進めているのに、他の事情から中断させられる。
決まったことをやらない。あるいは全然違った方向に行く。あるいは時間がかかり、時代が変わって、準備段階でとん挫することもある。
オカシナ連中が外部からやってきて、いつの間にか違った方法になったこともあります。
自分自身の中にある理想と現実のギャップに悩むのです。
ですから、Aさんも悩んでいることでしょう。
一方、私はBさんだったこともあります。
今から3年前、提案という提案が通らない時期は1年以上続きました。
企画を上げども、上げども、却下される。あまりに拒否が続くので、「嫌がらせ」なのかと疑心暗鬼になったのです。
そのうち、「菊川は年なんだから仕方ない」とか「ジジイの感覚では乗り切れない。若い人にやらせよう」と仕事が来なくなった。
(そんな言い方はされませんが、そんな感じたったと思います)
55歳。確かに感性も鈍り、感覚も古い。
それはそれで悔しいです。そんなことは波のように発生します。
「若い者には負けない」と言いたいが言えない。
それを言ったら終わりだから。若手が委縮するから。
さらに申し上げるなら「ケンカ」になるから。
言ったところで、印象を悪くするだけだからと思うものでした。
ある日、「菊川は老いた」とのレッテルを張られました。
その日の夜、私は「あん」という映画を見たのです。
sokafree.exblog.jp/24560801
「あん」の映画のように清らかに生きたいと思いました。
でも、「このまま、成果も出さないで5年を歩むことはできないなあ」
「何かをやらなければなあ」・・
まだ定年退職まで5年もある。「どうしようか」と思いました。
ぱぱんださんは教師だから、授業という実務がある。
少なくとも、ぱぱんださんが職場を追われることはないでしょう。
私は違います。私はその職務を失ったら何もない。
「ただ飯食らい」としてますます居場所がなくなるのです。
私は評価されないであろう5年の先の「定年」を見据えました。
そして決意しました。「もう、強がることはやめよう」と。
私はそこから無心に仕事をして、半年後に成果を出しました。
sokafree.exblog.jp/25043669
でも、失敗することは多くなりました。
若い人たちも台頭して来ています。
私の企画も通らないことが多いし、若手が評価されることも多い。
そんな私は、他の人の良い企画を誉め、良いアイデアを称賛しています。
スポットライトが当たらなくてもいいのです。
そういうスポットライトが当たらない、多くの人がなかなかできないことをできる自分を、私は好きになれる。
逆に修羅の私を私は尊敬できません。
使命を果たし終わり、退職するとき爽やかな印象を残して去りたいです。
私は勝ち負けにはこだわりたくないのです。
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