☆相手を立てて生きる.
Aさんは有能であり、研究が認められています。
Bさんの研究は劣っている。(と周囲は評価している)
10のうち、9をAさんが、1をBさんが獲得する。
あるいは10のうち、1つも獲得できない会議もあるかも知れません。
でも、だからBさんには価値がないのでしょうか?
私の所属する会社は、能力に上、中、下は当然あります。
でも、大事なことは、下の人は不要なのかというとそうではありません。
下の人には下の人なりに輝ける。存在価値を作れるのです。
ばばんださんの生き方は、何か間違っていると思うのです。
その何かが明確に、はっきりと分からないのですが。
私が思うことは、能力の上下で人間の価値は決まらないということです。もし、そう思うなら、思っている人の感情でしかない。
能力の上下で価値が決まるなら、アイデアを90%通せる人は10%の人より給料は9倍であるべきですが、その差はせいぜい1.1倍とか1.2倍でしょう。あるいは、逆に能力の高い人が給料が安く、低い人が高いということがある。なぜか。
能力が低くても、能力の高い人を使う人は給与が高いから。
過去、ある会社の社長が言っていました。
「私に能力はない。なくていいんだ。能力のある人を雇えばいい」
なるほどと思いました。でも、この社長、能力はあるんです。
「人に好かれる」という能力です。
実務はできない。営業も、技術もなにもない。
でも、「らしさ」があるし、「かわいらしい」。
その好かれるチカラは誰も勝てないのです。
ぱぱんださん、研究分野で勝つ必要なんてないんですよ。
あなた様が、好かれる人になればいいと思うのです。
皆に勇気と希望と励ましを送れるあなた様であること。
勝ったところで認められないのですよ。
能力があれば幸せになるというのは幻想です。
振舞い、かわいらしさ、励まし、笑顔、明るさ、慈悲・・
そういう人には誰もかなわない。
下根であろうと、上根の何倍も幸せになれるのです。
そう思いませんか?
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