☆対立をスルーする.
小説・新人間革命は数多くの希望の哲学を伝えてくれています。
問題可決の方策が語られていましたので添付します。
「意見というのは、人の数だけあると言っても過言ではない。ましてや世代などが違えば、意見は異なって当然です。(中略)
活動の進め方や運動の在り方についても、いろいろな意見があるでしょう。活動の方法に“絶対”や“完璧”ということはありません。
メリットもあればデメリットもあるものです。
問題点があったら、皆で知恵を出し合って、それをフォローする方法を考えていくんです。
柔軟に、大きな心で、互いに力を合わせることが大切です。
いちばん心しなければならないのは、自分の意見が受け入れられないことで、失望感を抱いたり、感情的になって人を恨んだりしてしまうことです。それは自分の信心を破るだけではなく、広宣流布を破壊する働きになっていく。
どの団体もや宗教も、多くは運動上の意見、方法論違いから対立や憎悪を生み、分裂します。
学会は、断じて、そんな轍を踏むようなことがあってはならない」
(雌伏31より)
この抜粋は、ぱぱんださんが和合していないという意味で抜粋したのではありません。ただ、孤立化の対局になる和合について申し上げたかったので引用いたしました。
そもそも意見は人の数だけあり、会社や国の方針も千差万別です。
考え方が違う者同士の対話は簡単なものではありません。
今、北朝鮮問題で本当に戦争になるかも知れない時代です。
公明党は戦争などのリスク回避に様々な法案を通過させています。
集団的自衛権、テロ等準備罪、北朝鮮への経済的圧力・・
ネットで「公明党や学会はオカシイ!」「池田先生の教えに反している!」と批判を繰り返す学会員?の声を見ることがあります。
彼らは、「対話が重要」であり、「制裁はおかしい!」「軍備増強はおかしい!」と言う。一見、正しいように見えるが違和感があります。
大事なことは「対話」が目的ではないから。
「対話」はあくまで「目的を果たすための手段」で、もし対話が重要と言うならば、導き出される成果が得られなければならない。
もし、対話をだらだらと続けて、その間に北朝鮮が核兵器をビジネス化して世界に広げてしまったら、その対話はまったくの失敗であり、愚かな行為だったということになるでしょう。
対話は「合意」「約束」「発展」のためにある。
もし、合意も発展も得られない対話なら、対話そのものが意味のないものになります。」そうなら「放置」も「沈黙」も方法と思います。
時が解決するということもあるからです。
ともかく「方法論違いから対立や憎悪を生み、分裂する」ことがないよう、「互いに力を合わせる」ことが大切と思います。
組織での会議はそうありたいものです。
職場の会議はいつも喧々諤々やっていますが、その中に、平然と相手を認め、堂々としている人になりたいものです。
柔軟で可愛らしい態度で接するなら、1年たち、2年たちすれば、「あの人はそういう人なんだ」と認めてもらえる。
「あの人は頑固だけど、仕事はちゃんとするから認めよう」
そう思われる歩み方もあっていいと思うのです。
どんなに批判されたって、「私はこのやり方に信念を持ってやっています」と言えば、相手は「仕方ないな」と諦めることもあるでしょう。
振る舞いや態度をピカピカに磨く。好感度をUPする。
そういう何かしらの方法で仲良くできないでしょうか。
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