☆アプローチを工夫する.
寿量品に「良医病子の譬え」が説かれています。
現代に訳すと次のような内容になります。
医師には十人、二十人、百人もの子供がいた。
ある日、子供たちがあやまって毒薬を飲んでしまった。
子供たちは毒で大地にころげまわって苦しんでいた。
医師が帰宅し、子供たちの苦しむ姿を目の当たりにして、毒気を抜き去る良薬を作った。
「これは良く効く最高の薬だから、すぐに飲みなさい」
毒薬が深く体に廻っていなかった子供は、ただちにその薬を服用し、苦しみから免れることができた。
しかし、毒気深入の子供たちは、その薬を飲もうとしない。
なんとか救いたいと願った医師は、ある方便を思つく。
そうして医師は遠い外国へと旅立った。そして旅先から子供たちの元へ遣いをやり、「お父さんは外国で亡くなりました」 と伝言させた。
子供たちは大変に悲しみ、父を偲び、父が勧めた薬を飲み、毒薬の苦しみを取り除くことができた。
子供たちが薬を飲んだことを知った医師は子供たちと再会する。
そして「救うために方便をつかった」 と真実を明かした。
このように法華経は智慧の経典です。
いかにして不幸な人々を救済するかが説かれています。
話しても無駄な場合は、工夫し、違う角度からアプローチします。
良医は、随分な遠回りをしました。ウソもつきます。
同じことの繰り返しで効果が出せない場合は、方向を変えてみることも大事です。押してダメなら引いてみる。正面からだめなら回り込む。
ぱぱんださん、研究が認められないことを会議で動かせないなら、まったくアプローチをかえるべきではないでしょうか。
存在意義を出すことは、何も研究だけではないでしょう。
教師として、同僚として、先輩として、後輩として、様々な振る舞い、主張の方法はありませんか?
私なら、何度かダメなら方法を変えます。
その点はいかがですか?
<別館>ブログトップへ