☆善に生きる、悩まない.
sokamori2.exblog.jp/26912102/
上記URL記事に殺生に悩むさんから質問がありました。
その質問内容を以下に示し、所感を申し上げます。
Q1.
折伏されてからなのですが、私が小学生、中学生の頃、昆虫や爬虫類など、小動物を理由もなく殺してしまった事があります。
なぜあんなバカな事をしたのか、今、考えてもわからないのですが、悔やんでいます。御本尊様に、「許して下さい」と懺悔のお題目をあげていますが、気持ちが晴れず落ち込んでいます。
どのように祈ると良いか、小動物を殺した罪が許されるか、もしご存じでありましたら、アドバイスください。
A1.
結論から申し上げて、今、反省なさっているのですから、真剣に1~2時間、罪障消滅を御本尊に祈られたら、もはや罪障消滅はできると確信していただきたいと思うのです。
最高善である大聖人の仏法です。
広宣流布に生き、世界平和のために生きている私たちです。
悩む必要はありません。
戸田先生のご指導では、業務上の殺生は「申し訳ない、南無妙法蓮華経」で大丈夫といった指導を書籍で読んだことがあります。
私の記憶では、業務上で牛や豚を殺生する職務の人に対する指導で、食べる動物の殺生は悩む必要はないという内容でした。
その書籍を探したのですが、発見できませんでした。
日蓮大聖人は、アリすら踏まないように気をつけて道を歩かれたのですが、これは本仏ゆえに徹底されていたのです。
では、戸田先生はどうでしょうか。戸田先生は牢獄の中で、南京虫を殺生してスカッとしたという記述があります。
自らの生き血を吸われ、憎しみもあったでしょう。
その殺生は宿業になるのでしょうか?
私たちは大量の命を食しています。
野菜は「無情」であり、その伐採や摂取に悩む必要はもとよりありませんが、「有情」の動物はどうでしょうか。
朝食で食べるちりめんじゃこなどは無数の命の固まりです。
魚、鳥、牛、豚、あらゆる動物を私たちは食べます。
一方、農作物被害対策として農薬で数限りない命を奪っています。
家にゴキブリが出ればエアゾルで駆除しますね。
クマが人里に来れば射殺もします。
これは、私たちが生きていく上で必要な殺生であり、罪はあれども、だからこそ大聖人の仏法で悪い報いを受けるということはない、と信じることが肝要でしょう。
さて、小動物を好んで殺生したことはどうでしょう。
私とて、魚釣りやカニ取り、昆虫採集などで殺生をしてきました。
ゴキブリもクモも、ムカデもハチも、不快という理由で、あるいは危険という理由で、容赦なく駆除してきました。
まして部屋の中にカが入ってきたりすれば、絶対に駆除します。
農園ではチョウすら害虫で、キャベツに卵を産み、青虫が生じるのです。
利害関係から、やはり殺生するのです。
勿論、好んでの殺生ではありませんが、私自身としても数えきれない小動物を殺しました。
農薬散布するドローン製品のCMを以下に添付します
あえて、農薬散布YouTubeを添付しました。
私たちの生活空間の殺生などは悩む必要はありませんね。
仏法でも悪は大きなものと小さなものがあると教えています。
牧口先生は、善にも悪にも大・中・小あると述べられ、善人とは小さな悪を働き大きな善を働く、悪人とは小さな善を働き大きな悪を働くと述べられています。そもそも善ばかりの人生はありません。
大事なことは、悪以上の善を行うことだと私は思っています。
漁師が大漁旗を風にたなびかせて帰港します。
もし、殺生に悩んだら漁師は務まりません。
牛や豚を食肉に加工する職種も同じです。
確かに命は奪うのですが、一方で人やペット、家畜を生かします。
何かを生かすために、何かを殺すのです。
このことに悩む必要はないと私は確信しています。
殺生に悩むさんは、この偉大な仏法を根本に生きられる幸せを噛みしめ、過去の殺生は一度しっかり懺悔し、今後、無用な殺生をしないことを決意し、広宣流布を決意されて歩めばいいのだと申し上げたいのです。
もし今後、殺生する場合は、「申し訳ない、南無妙法蓮華経」でいい。
あるいは、殺生した分、今、生きている動物や自然を守ればいい。
過去以上に、これからを善に生きればいい。
そのように前向きにお考えになっていただければと思います。
多く、私見のコメントになりましたことお許しください。
次の記事は、→
ここをクリック!
<別館>ブログトップへ