☆宗門ではありません!
「雌伏」には、弟子の戦いを象徴する内容が記されています。
先の四国の同志の戦いは学会史に残る象徴的な出来事でした。
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池田先生は、さらに九州・奄美大島の女子部を記されました。
以下に、その内容を抜粋します。
かつて奄美大島で学会への迫害事件があった。
村の有力者が御本尊を没収したり、学会員の働き場所を奪ったりなどの仕打ちが続いた。
生活必需品も売ってもらえなかった。学会排斥デモも行われた。奄美の学会員は悔し涙をこらえ、自他共の幸せを願って懸命に弘教に励んだ。
長田麗(おさだれい)の父は船の遭難事故で他界していた。
病弱な母は和裁の仕事をして、女手一つで彼女と姉を育てた。
暮らしは貧しかった。
一家は昭和33年に入会、真剣に学会活動に励んだ。
母は口数の少ない人であったが、小学生の麗を連れて弘教に歩いた。
旧習の根深い地域である。訪ねた家で返ってくるのは、蔑みの言葉であり、嘲りであり、罵倒であった。
しかし、母は負けなかった。
「学会の信心は絶対に正しい。やれば、必ず幸せになれるんですよ」
厳として言い切るのである。
麗が小学校高学年の時、母が風邪をこじらせ高熱を出した。
水嚢の氷もすぐに溶けてしまうほどだった。
病床で母は麗に繰り返した。
「私に、もしものことがあっても絶対に学会を離れてはいけない。御本尊だけは放してはいけない・・」
その言葉は、幼い娘の生命に深く刻まれた。
やがて健康を回復した母の仕事は増え、生活は安定していった。
功徳の体験は確信を育み、ますます信心を強盛にしていく。
山本伸一の会長辞任は、奄美の女子部にとっても衝撃的であった。
長田麗は、宗門による学会批判が激しさを増したとき、地元寺院の住職に呼び出された。
学会の悪口を聞かされ、宗門につくのか、学会につくのかを迫られた。
彼女は毅然として言った。
「私たちに信心を教えてくれたのは学会です。私たちを励ましてくれたのも山本先生であり、学会です。宗門ではありません!」
長田麗は皆に訴えた。
「今こそ私たちは創価の勝利を打ち立てて、東京へ、創価女子会館へ、山本先生のもとへ行きましょう!」
彼女は女子部員の激励に島から島へと走った。
有人島だけでも8島ある。
奄美の女子部たちはフェリーで鹿児島に渡り、空路、東京に渡った。彼女たちは江戸川区の女子部と交流、学会本部、聖教新聞社を見学、貸し切りバスで立川文化会館に向かった。
1980年(昭和55年)2月17日、2台のバスに分乗した奄美大島の女子部員86名が、山本伸一のいる東京・立川文化会館に到着した。
そして86名は池田先生と出会い、記念撮影して励まされた。
伸一は語った。
「皆さんの住むそれぞれの島や地域は小さいかもしれない。しかし、そこを広宣流布の模範にしていくならば、奄美は世界中の同志の希望の星となります。奄美から21世紀の広宣流布の新風を起こしてください!」
(以上、雌伏57から62より)
時は今、2017年6月です。
37年を経て、この奄美の女子部は小説・新人間革命に記され、末法万年に輝く永遠の希望の星となりました。
今、彼女たちはどんな気持ちで、新聞の連載を読んでいるのでしょう。
歓喜の涙で拝していらっしゃることでしょう。
小説・新人間革命30巻感想文カテゴリは以下のURLです。
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