☆水かさを増す魔の働き.
雌伏のラストシーンを以下に示す。
会長辞任から間もなく1年がたとうとしていた。
しかし、学会を取り巻く状況はいまだ騒然としていた。
宗門は、学会に対する誹謗中傷をやめ、檀徒づくりをしないと約束したにもかかわらず、若手僧の多くはそれを無視した。
むしろ、学会への非道な攻撃を繰り返した。
学会を敵視する僧の勢力は、ますます増大した。伸一が会長辞任を発表した1979年4月、直後には学会批判のために檀徒新聞「継命(けいみょう)」が創刊された。
7月、日達が他界し、阿部信雄(あべしんのう)が日顕を名乗り、法主になると、対決姿勢をあらわにしていった。
山本伸一は、首脳幹部たちが、宗門僧らの学会攻撃など、諸問題の対応に神経をすり減らし、苦悩していることをよく知っていた。しかし、学会の運営については、執行部に任せ、見守っていくしかなかった。
会長を辞任してから伸一は、毎月の本部幹部会に出席することも、また、彼の行動が聖教新聞に報道されることもわずかであった。
それは、伸一を封じ込めれば、学会員を自分たちの思い通りに従わせていくことができるという、退転、反逆者や宗門僧らの策略であった。
(雌伏66から68より)
池田先生は、学会攻撃を無くすために勇退された。
しかし、宗門の学会攻撃はまして大きくなった。
その苦難を耐え忍ぶ師弟の姿が描かれました。
文末には「ついに反転攻勢の朝が到来した」と記されていました。
一体、「反転攻勢」とは何でしょうか。
第二章はこうして終わりました。
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