☆他を幸せにする一生.「親孝行は広宣流布」であると申し上げました。
sokamori2.exblog.jp/28470740/これは、その他のあらゆることに当てはまるのです。
対象は人だけではありません。動物も環境も同じ。
私はゴミの分別すら「広宣流布の行為」と思っています。
良き市民として生きること、イコール広宣流布ですから。
良き社員として仕事をすること、イコール広宣流布ですから。
このように申し上げると、批判を受けるのですが、
ブログを書くことも広宣流布の一部です。
私にとっては全生活が広宣流布なのであって、
学会活動だけが広宣流布なのではありません。
仏法の本質は「慈悲」です。
では「慈悲」とは、どんな意味があるのでしょうか。
調べると慈悲は仏法用語で、仏・菩薩が人々をあわれみ、
楽しみを与え、苦しみを取り除くこととのこと。
所詮、広宣流布と言っても、抜苦与楽を達成できないなら、
意味のないことではないでしょうか。
親孝行、子育て、仕事、親戚付き合い、友人・・
たとえ見知らぬ他人ですら、助け、希望と勇気を与える・・
これ以上に楽しく、歓喜ある生活はありません。
さりげない日常生活が広宣流布に一致するという確信こそ、いわゆる「法華三昧」であり、「歓喜の中の大歓喜」と思います。
これこそが池田先生の人生ではないでしょうか。
すなわち、広宣流布とは、楽しみを与え、苦しみを取り除くことを目的に行われるものであり、その最大、最高の行動者が池田先生です。
私たちは私たちの置かれた環境で同じく広宣流布をする・・
先生の行動と私たちの行動がすなわち師弟不二ではないでしょうか。
以上申し上げた確信が、私の幸福の基(もとい)です。
私は平凡な学会員ですが、この確信があるが故に幸福です。
一年中、常に毎日が感謝と歓喜ある広宣流布の生活・・
「生きているだけで幸せ」とは、このようなことなのでしょう。
私は世界一周旅行をしたいとか、宮殿に住みたいとか思いません。
私は庶民の中に平凡に生きながら、誰かの支えになりたい。
そして、ささやかではあってもお手伝いをしたい。
私はそれを実践することに誇りを持てるし、満足できるのです。
大富豪より豊かで幸せな人生だと思っています。
大富豪との空想対話の記事を以下に示します。
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