☆仏法西還は創価の力.
インドSGIを紹介する聖教新聞の記事を添付する。
写真解説「会員数30万人のインドの学会員の写真です。
下写真はインドSGIの創価三代の家族写真」
日蓮大聖人は御書に次の内容を書かれています。
>月は西より出でて東を照し、日は東より出でて西を照す。
仏法も又以て是くの如し。正像には西より
東に向い末法には東より西に往く」
この月氏への妙法流布を果たしたのは、
日顕宗が批判して止まない
池田大作であり創価学会です。
海外の会員数は現時点で300万人。
いずれSGIは500万人、1000万人へと
広がることは間違いありません。
創価には笑顔が満ち、決意があり、
幸せの実証があります。
日顕宗のあなたたちがカイダン、カイダンと主張し、
へ理屈をこねくり回してデマ情報を拡散し、
座して愚痴を吐露している間に、
創価は広宣流布を推し進めています。
阿練若(あれんにゃ)は梵語アランニャ(araṇya)の音写。
寂静処、無事閑静処、無諍声と訳します。
騒乱の世の中とは無縁の静寂な寺で
君らの供養で生きながらえる坊主たちに
広宣流布はできるでしょうか?
そもそも日顕宗に新しいニュースはありますか?
日顕宗の今年のスローガン「折伏前進の年」、
本当に「前進」できますか?
法主・日如氏が「大白法」で語ったのは
「折伏活動も思うようにいかず、各支部共に
苦戦を強いられています」でしたね。
これが年頭の中心人物の言葉です。
私には年始早々の敗北宣言にしか聞こえません。
一体全体、どうするつもりでしょう。
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☆日顕と同じ文章の羅列.先日「鏡を見る生活のすすめ」という記事を書きました。
→sokamori2.exblog.jp/33616190/彼は実証を否定しているのに年間300時間の唱題をしたらしい。
疑問なのは、何のために唱題しているのか?ということで、
もしも個人的な願い事をしているなら
「果報」を得たいがためではないのでしょうか?
もし、悩み事や目標があっての題目なら、
それはすなわち実証が得たいということになる。
学会の実証は否定し、理屈極上を言うなら、
理屈を得たいがための題目なのでしょうか?
そうではないようです。すでに悟り切っているような
文章(でたらめであるが)を書いているから、
新たな悟りは不必要だからです。
私としてはまったく意味不明で、まったく理解できません。
訳の分からない文書の羅列でインパクトもないし、
「なるほど」と共感できる内容もありません。
結論は全部、カイダン、カイダンとばかりで
脳みそが働かなくなっているのでは?
と心配になってしまうのです。
そんな頭では、遠からず制御不能の悩乱となり、
誰からも信頼されず、自己満足のみの
滑稽な生活になることでしょう。
彼は、あまたある学会の書籍、それは本当に
素晴らしいものばかりですが、大石寺のカビの生えた
古文書、現代人ではおよそ読むこともできない
資料しかなかった日蓮正宗の遺産を、ことごとく
現代によみがえらせ、かつ多言語に翻訳して
世界中の人々に仏法を認知させた学会の大功績すら、
あんなものは・・などと、もはや爆笑するしかない
たわごとを毎日、ブツブツ言っているのです。
一体全体、彼は何をしているのでしょうか?
いますよ、そいういう意味不明の人・・
街中にもしるし、介護施設にもいる。
大真面目に「こうだ!」と話しているのですが、
通じないし、誰も聞き入れません。
かの日蓮正宗が日顕宗に堕した最後の理屈が、
ベートベンの第九を歌うのは外道崇拝であるとの
もう、どうしようもない奇怪な批判で、
その程度が日顕とその一派のレベルなのです。
宗門は「池田大作ではなく法主様を崇拝をせよ!」
「学会幹部でなく、末寺の住職を尊敬せよ!」
それが言いたかったのでしょうけど・・
蛙の子は蛙です。まるでダメ男氏は
日顕宗開祖と瓜二つなのです。
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☆故・池田先生をもてあそぶ.昨年から私は日顕宗信徒のデタラメブログに対し
批判記事を書くようになりました。
年が明けても、私は元旦から
ある特定人物に怒りの記事を書きました。
その元旦のブログ記事を以下に示します。
→sokamori2.exblog.jp/33616190/私は特定の情報発信者に連続して抗議することは、
過去に一人しかいません。その一人は
2018年4月以降、ブログの更新が
完全に止まっています。
※あまりに唐突な更新停止のため、死亡したか、
あるいは大病なのでは?と感じています。
抗議を続けたのは、あまりに非人道的で、
あまりにウソ・デタラメの情報を
垂れ流していたからです。
このたび、仮称・まるでダメ男(だめお)氏への
批判を開始したきっかけは、昨年11月15日に
逝去した池田先生をあざ笑い、バカにし、
ウソ・デタラメを並べ立てて批判したからです。
彼の行為は「川に落ちた犬は棒で叩け」の行為であり、
「ライバルや強者が弱っている時がチャンスだから、
徹底的に打ちのめせ」の意図でしょう。
しかしながら、彼如きの低レベル批判では
学会は微動だにしません。ですが、
逝去された池田先生に泥を塗る行為に
心底、怒りが湧くのです。
学会に対し、根も葉もない悪い噂を流していたのは
三流週刊誌が顕著でしたが、そのことで
学会は「今にみよ!」と努力・工夫し、
成長のエネルギーにしてきました。
同様に、ダメ男氏のバカげた言動は私の熱意を
奮い立たせるに十分なのです。
日顕宗において、年間300時間の唱題をする信徒のダメ男氏・・
まさに日顕に帰命して、残酷な人格形成をすると同時に、
日顕宗の破たんの歴史と同じく、
悲惨な末路をたどると私は確信しています。
彼は実証の伴わない口先だけブログオーナーであり、
悲しいことに功徳を得られていません。
私はその矛盾も批判したいのです。
さて、読者の皆さまに不快な思いもさせることから、
その批判は主に<別館>にて行います。
ともあれ、ダメ男氏が正当な根拠を持って
正しく批判すること、また、自宗の
人々に対する幸福拡大運動に
エネルギーを注ぐことを希望しつつ
抗議活動を継続します。
世間から見れば、どうでもいいことですが、
ウソで批判されることは到底許しがたく、
問題の指摘を続けるつもりです。
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☆学会と日顕宗の相違.この度、私は書籍「創価学会教学要綱」を購入しました。
きっかけは学会批判者のDM氏が、この本を読んで
学会の批判を行ったことでした。
それ以前から、DM氏は根も葉もない内容で
批判を続けていたのですが、「あり得ない」ウソを
あまりに語り続けるので、同一の本の内容を
確認する必要があったのです。
購入して早速読んでみたところ、多くのことは
すでに知っていたとはいえ、中に知らなかったこと、
新たに納得できたことなどがあり、
連載記事で解説をしたいと感じました。
日顕宗と学会が根本的に違うポイントは、
日寛上人の教義内容の解釈の違いと、
宗教活動の方向性の違いです。
端的に申し上げれば「カイダン至上主義思想」と
「御本尊平等思想」との相違であり、かつ袈裟を着た
僧侶を必要とするかしないかの違いです。
もっと根本を言えば、広宣流布を果たさない僧侶は
「不要である」というのが学会の考えです。
そもそも創価学会は「広宣流布宗」であり、
実践・実証を目的とした生きた宗教です。
一方、日顕宗は僧侶中心主義の葬式仏教です。
以下に現在・日蓮正宗のホームページを示します。
→nichirenshoshu.or.jp/jpn/index私は生まれて初めて日蓮正宗ホームページを見ましたが、
使用されている写真を見ると、完全な
僧侶中心主義の宗教であることを色濃く感じ、
とても嫌な気分になりました。
ホームページの写真はシーラカンス化した風景であり、
まるで他宗の寺と同じ印象しかありません。
日蓮大聖人の仏法は「即身成仏」の宗教であり
今世で成仏できる宗教です。
ですから葬式仏教に堕した宗門とは
一緒に歩める道理がありません。
以上の内容を創価学会教学要綱から解説します。
つづく
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