◇ご質問に対する回答(Q&A)で対応いたします。
私は長く、自衛のための論争は許されると思っていました。
例えば、相手が理不尽な誹謗中傷をしたとき、当然のことながら反撃して、正当防衛上相手を結果的に傷つけることは許されると思っていました。
しかし、この数か月の過剰とも思えるネット上の批判合戦を見たとき、私は心の底から「論争」を嫌悪しました。
「戦うべきではない」。これが私の3年半のブログ経験の答えです。
過去、私が批判者に反論していた理由の1つに、「他の人も同じ被害が及ぶ。だから、その有害性を知らせるためにも、あえて反論しなければならない」と思っていました。
それは間違っていました。
結果を見れば明らかで、むしろ、批判者達の勢いを増す結果になったのです。
努力して、頑張り続けて、とどのつまり、私は成果を出すことができませんでした。
そんなある日、私は、開目抄の一節に巡り合いました。
「人をあだむことなかれ・眼あらば経文に我が身をあわせよ」(228頁)
大聖人は、良観一派にいじめ抜かれた。それなのに「恨んではいけない」、大事なことは「経文通りに生きること」であるとのご指南です。
私は、日蓮大聖人が、死罪、流罪、暴行、脅迫など、あらゆる迫害を受けたにもかかわらず、誰一人恨んでいなかったことを知りました。
この御文を、私は衝撃的な思いで見つめました。
「なぜ、殺されるような局面ですら、お怒りになられないのだろう?」と思った瞬間、「この境涯に、一歩でも近づこう!」と決意できたのです。
そのとき、月下の騎士ブログは、私の心の中から必要なくなりました。
私は今後、不毛な論争はいたしません。論争そのものを放棄いたします。
加えて、すべての投稿者と対話することもいたしません。「この人となら話ができる」、「この質問の内容は価値があるから回答する」というスタンスで臨みます。
最初、そのカタチができあがるまで、少しの期間を要すると思いますが、私は新しい自分を作り、前進することをここにお誓い申し上げます。
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