◇力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。
「声仏事を為す」(御書708頁)
この言葉は、天台大師の弟子、章安が残した言葉である。
日蓮大聖人は、「梵音声と申すは仏の第一の相なり」(1122頁)と述べられ、三十二相の中で、「声」が最も重要であると言われた。
三十二相とは、32の勝れた外面の姿のこと。
足の裏から指の先、手足、身長と体重が調和がとれ、顔や体が整い、見る者をして愛好尊敬させ、衆生の主と知らしめる姿を示す。
梵音声とは、仏の声が深く清らかで、遠くまで届き、聞く人を歓喜させるの意。
釈尊は、菩提樹の下で悟りを開く。
この時、釈尊は、自らが悟った法を、衆生にどのように説くかを考えた。
しばらく迷い、ためらったと伝えられている。
その理由は、法を人々が理解することは困難であることが原因であった。
しかし、釈尊は、その困難を覚悟の上で、法を説く戦いに踏み出した。
釈尊は、悟ったから仏になったのではない。
民衆救済の実践を開始し、生涯継続したことで仏を維持したのである。
仏教においては、悟っただけで、他者に法を説かない覚者は、辟支仏(縁覚)といって、真の仏ではないとする。
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361頁)である。
さあ、今年も大いに仏法対話をしよう!
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