◇白黒つかないことが世の中には多い。
職場とは、仲間同士である。
その職場で見つけた悪は、どう解決すべきであろうか?
まずは、悪を善に変化させるべく、対話、行動し、問題解決をはかるべきである。
仲良く、ねばり強く、事態をよい方向に運ぶ。
では、なかなか解決できない問題は、どうすればいいのだろうか。単純に考えれば、一つは解決する道をさらに歩む。もう一つは放置することが考えられる。
私がよく、過去に聞いた言葉を以下に示そう。
「理想を言えば、金がかかる」
「金をかけないなら、手間暇かけろ」
「それは贅沢だ。うちは上場企業ではない」
若い時は、こういう言葉に反発するかもしれない。
優柔不断と嫌悪する人もいよう。
しかし、善と悪、白と黒というように、物事を対極的に考えてはならない項目が多いのだ。いわゆるグレーゾーンである。
言い方を変えれば「痛し痒し」の選択。
さらに言うなら「だましだまし」の運営である。
右を取っても、左を取っても、大きな変化が望めないようなことが沢山ある。
ましてや、世の中の事象は、立場、見る角度によって見解は分かれる。
社員にとってよいことでも、経営にとって悪いことがあるし、お客にとって都合のいいことでも、会社にとっては実現不能のこともある。
会社、社員、取引業者、お客様、それらが全部、満たされる答えが100点満点とする。しかし、おそらく100点満点の行動は、ほとんどの場合できてはいない。
頑張っても、努力しても不慮の出来事は発生する。ミスもする。
例えば、工場排水は基準値0.1ppm以下となっているとする。
検査した結果、0.11ppmだったとする。これは悪だろうか?
基準値を大幅に超えるなら話は違うが、社会は、この程度のことなら容認する。
(けれど、厳密に言えば0.01ppmの超過分は法律違反に当たる。だから、基準値以下にする努力は求められる)
では、絶対に許してはならない本当の悪とは何だろうか?
それは、100点中、0点以下のものだと私は考えている。
いわゆる社会に多大な損害を生じさせるような問題のことである。
これだけは放置できない。放置したら、悪の片棒を担ぐことになる。
だから私は、先に書いた社長が政治運動する、宗教的行事をするというのは、どこでも行われていることだし、そのようなことは悪の範ちゅうではないと受け止めているのである。
現実に、主義主張の違いはあれども、新年に神社参拝をし、一部の関係者にお守りを配るという行為はよく行われている。
私はそういう場合は、皆の前で「ありがとうございます」と言ってお守りを受け取り、その催し物が終了した後に社長室に行き、「私は宗教上の理由から、このお守りをお受けできませんのでご返却にまいりました。真心だけ頂戴いたします」と言って、お返ししてきた。
それが例年続いたのである。
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