☆不安な心と喜びの心。
私の幼少期の話をする前に、今から20年ほど前のお話をします。
ある日、私は、座談会に誘われて出席しました。
座談会は、皆がニコニコしていて、喜びに満ちていました。
子供から大人まで、「こんなに幸せなんです!」というような雰囲気の会合でした。
私は、その場にいたたまれなくなり、ひどく落ち込みました。
帰宅する道すがら、「来なければよかった」と思い、うなだれて帰宅したのです。
私は、会合の笑顔と喜びの声に、我が不幸を強く感じたのです。
元気をもらいたいと思っていましたが、現実にはすっかり元気を失いました。
このときから長年に渡り、私は会合に出なくなりました。
このように人の幸せを見て、より強く不幸を感じる人がいます。
一方、人の不幸を見て、喜んだり、安心したりする人もいることでしょう。
私は光を見た瞬間、私が日陰に位置する人間であることを認識したのです。
この空虚な気持ちは40歳までありました。
考えてみれば、私は心の底から幸せを感じることが幼少期から一度もなかったように思います。心はいつも曇り空で、不安を常に持ち続けていたのです。
しかし、今の私の心に不安はありません。
私は会合が楽しいですし、皆の幸せは私自身の幸せなのです。
あの卑屈な私の命は、一体、どこに消えたのでしょうか?
また、今の喜びの命は、どこから来たのでしょうか?
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