☆チャンスを掴んで転職する。
私は小さな会社に就職していました。
その会社は、業界から見れば名もない会社です。
装備は貧弱だし、教育もありません。小さい会社なので、業務のすべてが見渡せるという意味ではとても勉強になりましたが、井戸の中のカエルみたいなもので、大きくて立派な会社に転職したいと考えていました。
○チャンス.
そんな私の目の前に、チャンスが訪れました。
ある建物の中で問題が起こり、私が修得していた技術が偶然にも役に立ったのです。
そのことで問題は解決したのですが、そのプロセスを見ていたある人が、その事例を論文にしたらどうかとアドバイスをくれたのです。
その人は、有名大学の教授を紹介してくれて、論文の添削までできるように運んでくれました。
私は、人生にとって大きなチャンスであることを知りました。
そして有名大学の教授にアドバイスを頂き、一編の論文を書きました。
論文は業界にとって、インパクトのある内容に仕上がりました。
この論文を切符にして、私は大手の会社に転職したのです。
名もない若者が、いよいよ社会の荒波に船出をしました。
私の心は、希望に満ちていました。
○熱中の代償.
私は、全力で仕事をし、日々、成長している自分に満足していました。
「何としても夢を実現するんだ。必ずやるんだ」との情熱に心は沸騰していました。
しかし、人間は一人で生きている訳ではありません。
一途な情熱は、ときとして周囲に迷惑をかけることがあります。
私はこのとき「実力主義」「覇権主義」に陥っていたのです。
実力主義は、他との協調、他への思いやりが欠如しやすいのです。
当時、私は結婚していましたが、現実には給料は安かったし、汚れた作業服で帰宅し、よれよれクタクタになるまで仕事に根注していました。
奥さんはから見れば、現実が伴わない「夢追い人」に見えたことでしょう。
その不満は、やがて離婚という悲惨な結末になります。
元奥さんからは、最後、何と言われたか。
「仕事きちがい」と言われたのです。幸せになるために頑張って仕事をしていた私は、ハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
今から思えば、奥さんの支えがあっての仕事であり、勉強でした。
そのことに感謝もできないワガママな私でした。
○暗転.
まだ、家庭内不和が起こる前の私は夢に向かって驀進していました。
しかし、現実は甘くありません。行った先の会社は‥外から見るとピカピカの素晴らしい企業でしたが、その内情は悲惨でした。
昼休みに皆が、“週刊就職情報”を読み、転職をしようと話し合っているのです。
その営業所の責任者は、「宅建」の資格試験が近くにあり、「合格したら転職する」と言っているのです。仕事は過酷で、各週で夜勤になりました。
各週で夜勤です。このシフトが大変なのは、生活のリズムの変更がなかなか難しいことです。やっと夜勤に慣れたかと思うと、日勤になります。
日勤に慣れたかと思うと、また夜勤になるのです。
そんな中、ある会社関係者が、私が転職していることを聞きつけ「どこよりも優遇するから、うちに来ないか」と話を持ちかけてきました。大手企業に不満をもっていた私は、即座にその会社を辞め、再び転職しました。
次の記事は、→
ここをクリック!
<別館>ブログトップへ
<創価の森通信>へ
<本館>ブログトップへ