☆完全なる消滅が「涅槃」.
前回、百万遍唱題をして「カラッポ」になったお話をしました。
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環境は何も変わらなかったのです。家出をした妻とは離婚、仕事は転々とし、預金通帳は5万円もなかったと思います。
私は新たに就職しなければなりませんでした。
生きるため、まっすぐに、再就職をするために歩み始めました。
○涅槃.
昨日、ちょうど、宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す5」を読んでいて、その中に「涅槃」のことが書かれていました。
マハトマ・ガンジーの言葉でした。
その内容を、以下に抜粋し、所感を述べます。
仏陀の生涯の中心的事実を私が理解できた限りにおいては、我々の内なる、不純なるすべて、不道徳なるすべて、堕落し、また堕落しやすいものすべての、完全なる消滅が「涅槃」なのである。
「涅槃」は、墓場の暗くて生気のない平安ではなく、魂の生き生きした平安、生き生きした幸福である。
宮本輝は、このガンジーの言葉を引用し、「死とは違う」と述べていました。
この記述を読み、27歳のときの私の状態が説明できると思いました。
○空っぽの功徳.
当事、私は一切を失ったことを功徳とは受け止めていません。むしろ、頑張って、頑張って、結局失ったのですから、悲しさ、空しさが残っていました。
しかし、それは、ガンジーの言うところの「不純なるすべて、不道徳なるすべて、堕落し、また堕落しやすいものが消滅した」状態に近かったと思います。
多くの傲慢さや自己中心的な心情がすっかり消え失せたのです。
コップの中にあった汚水を捨てて、洗ったようなものです。
一杯に何かが入っていたら、何も入れられませんね。
けれど、空っぽのコップには、何かを注ぐことができます。
私の27歳とは、そのような状態でした。
ただし、ガンジーが言うところの「魂の生き生きした平安、生き生きした幸福」はありません。心が満たされるには、まだ10年以上の時間が必要でした。
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