☆社会は「べき」の集合体です。
以下の文章は、私個人の考えを記していますが、断言した書き方になっています。これは論調をはっきりさせるために、あえてそのようにしています。ご承知おきください。
クルマは左、人は右、青信号は渡れ、赤は止まれ。
これはルールです。ルールは「べき」です。
当然、ルール違反もある。例えば線路に降りてはいけないが、人が転落して救済しなければならないときは例外もあるだろう。
優先席 で携帯電話で話すこと、スマホをイジルことは禁止事項だが、やっている人は多い。
そのことを注意する人もいるし、そのことでケンカになることもある。
過度に反応する人、反応しない人、様々である。
私自身、仕事上、ルール違反は多く目につく。
建築現場でヘルメット着用の義務があるが、時として守られず、怪我をして大事にいたることがある。事故が起きて責められるのは会社である。
真夏の作業で異常に暑い日は、ヘルメットも脱ぎたくなる。
汗を拭くのにヘルメットを外す。少しの間、外しておこう。
そのとき、たまたま事故が起きる。そのことは責められるだろうか?
外野でとやかくいうことは簡単だ。しかし、実際に当事者になったら、やっぱりルール違反をしている自分に気付くだろう。
ヘルメット はあご紐をしっかり締めないと意味がない。
では「しっかり締める」とはどの程度なのか。
これも個人の感覚だからまちまちだ。
体力のあるものとないもの、気力が強い人と弱い人、経験豊富な人、新米の人、それぞれ「べき」は立場で、境涯で、視野で、知識で違う。
社長と中間管理職と新入社員とでも「べき」は違う。
家庭でも夫、妻、子供、それぞれで「べき」は違う。
病院を例にすると、医師と看護師と薬剤師と患者と付き添いとでも違う。
誰かに都合のいいことでも、誰かの都合は悪かったりする。
誰かの言い分だけで病院は動かない。
駅などで並ぶ順番で、中割りは「べき」からみると許せない。
でも、「どうぞ」という人はいる。理解する人もいる。
寛容な人、目くじら立てる人。多様である。
注意も「やり方」がある。小さなことを過度に叱るようなことは逆効果になることが多い。しかし、そういう逆効果を続ける人がいる。
「手かげん」がわからないのだ。
ルール違反 というけれど、多少の「あそび」がないとルールも機能しない。赤信号で渡れない。しかし、人がはねられた。
ずっと青になるまで待つだろうか?
オートバイはノーヘルは厳禁だが、あえてノーヘルで乗ったことがある。
それは交通事故で病院に運んだとき、けが人にヘルメットをかぶせ自分はかぶらなかった。途中、警官に止められたが、「この人を病院に運んでいます」と言ったら通してくれた。非常時には許されたりもする。
許す、許さないも、その状況判断だ。
「べき」が強いと「許せない」ということなる。
では、家庭内や地域差はどうだろうか。
個々、家々のしきたりは違う。地域差も大きい。
嫁と姑の諍いをよく耳にするが、これも「べき」の相違は多いだろう。
その人にはその人の思いと常識がある。周囲から見れば些細なことであるが、そのことでトラブルになるケースは多い。
一体、何が正解なのだろうか?
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