☆ひきこもりの人への的外れな励まし.
ナイチンゲールの怒りの記事を書きました。
善意のおせっかいが、数多くの患者に苦痛を与えていること。
ナイチンゲールの記事は、→
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わたしも、それに似たおせっかいをして注意されたこと。
注意された記事は、→
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これは、ナイチンゲールが言った、次の内容に該当します。
>彼らの図々しさは驚嘆に値する。それはちょうど、患者の骨折を知りもしないで、運動を勧めるのと同じである。
>どうか、このような苦悩の人たちに、おせっかいな励ましはやめていただきたい。あなた方が彼らをいかに痛めつけ、いかに消耗させているか、あなた方は知らないのである。
失敗記事についてご指摘をくださった人は2名いて、その2名とも私はよく存じ上げている人です。その方々は、過去にうつ病のご経験があり、私の的外れをご指摘されたのです。
ナイチンゲールは、沢山の患者の観察を積み重ねているので正しい。大事なことは「当事者」からの視点です。
ひらがな御書 は、視覚障がい者の方が利用するサイトです。
ですから、私は視覚障がい者の方の意見を100%聞き入れます。
(ただし、物理的に実現不可能なことはあります)
目で見て行動するとと、音声を聞いて行動することは、まったく別物です。暗闇の中にある看板はまったく意味を成しません。
目が見える感覚であっては、どんなに努力してもだめ。
努力しても、努力しても、的外れなのです。
マッサージと同じです。力加減、ツボ、これを間違えると意味がない。肩がこっているのに足をもんだり、力が弱い、あるいは強すぎる。
だとするなら、時間の無駄使いであり、御当人は苦痛なだけでしょう。
唯一、価値があるとするなら、反面教師的なことぐらいでしょう。
悪意の行動 が人を苦しめるというのは当然としても、善意が人を苦しめるということを私たちはしっかり認識する必要があると思います。ここは盲点になりやすい。
ストーカーをする人には次の傾向性があると言います。
>失恋を受け入れられない。(あきらめられない)
>人を許すことができない。(必要以上に憎む)
>自分を守るために過剰な正当防衛に出る。(徹底した仕返し)
>○○に違いない、○○になるべきだ、という激しい思い込み。
ストーカーの異常な行動も、このような心理から生じている。
彼らの迷惑な行動も、自分は正しいという認識があるのです。
善意の行動 だから良いということではありません。
注意することにも、称賛することにも、有効な方法かどうかを考える必要があると思います。
折伏は最高の善ですけれど、目を怒らし、怖い顔をして「あなたの宗教は間違っている。あなたは地獄に落ちる」と言うことは善ではない。
まして、胸ぐらをつかみ、こぶしを振り上げての折伏をしたら‥
善意であってもそれは最低最悪です。
日蓮大聖人は強く国家諌暁をされたけれど、柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)の振る舞いであられた。
「柔和(にゅうわ)」とは、一般的に顔つきや性格が優しくゆったりとした様子をいい、柔らかで純真な気持ちを持つこと。
「忍辱(にんにく)」とは苦悩・迫害・侮辱に耐え忍ぶ不動心をいいます。 衣とは、身体を覆い、命を護るものです。
これが私たちの模範とすべき振る舞いです。
現代においては、池田先生のお振る舞いこそ模範でありましょう。
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