☆Yamaさんとhanaの存在.
10人の友人づくりシリーズが諸事情で止まっていました。
過去の記事6編を以下に示し、掲載を再開します。
①はじめに(外部の友人、何人作れますか?)
②友だちは遊びから始まる(例:動物占という遊び)
③一般論として語るシリーズ(読者へのお願い)
④友情とは愛情と同じもの(自己犠牲ができるほどの関係)
⑤酒と女のチカラ(飲みにケーションの大事さ)
⑥酒と女の注意事項(健全に活用する)
ここまでで申し上げたのは、ほんのさわりの部分です。
現実に10人の友人はどのように作るのか‥
少し視点を変えてお話したいと思います。
学生部時代の友人のお話をしましょう。
私は岡山から東京に出たとき、2人の重要な友と出会いました。
1人はhanaという同年齢の友、もう一人は2歳上の先輩のyamaさん。
大学時代というのは学年が1つ違うというだけでもの凄い格差で、yamaさんは友人というより偉大な先輩でした。(今も偉大な先輩です)
学生部時代からもう37年経過しているのですが大切な存在です。
知り合い は東京には誰もいませんでした。
東京に受験で上京したとき、宿泊したのがyamaさんの下宿の部屋で、
hanaと共に泊めていただきました。
最初、岡山の同郷のyamaさんは、hanaや私に「東京の大学に来い」という話をされたのです。そして、上京して宿泊させていただいたのです。
しかし、hanaも私も勉強嫌いで志望校には行けず苦悶していました。
いわゆる落ちこぼれのhanaと私でした。
yamaさんは、そんな落ちこぼれを温かく受け入れてくれた。
骨身に染みる愛情を注いでくださった。
その恩は生涯忘れることもないものです。
その後、正式に東京に移り住んだ私とhanaは、yamaさんの近くに下宿し、一緒に学生部として活動するようになりました。
yamaさん という人は世界一素敵な人でした。
当時、池田先生を遠い存在としてしか感じられなかったですが、私はyamaさんのためなら「死んでもいい」というほど惚れ込んでいました。
その確信ある話、創価を愛する熱意、広宣流布に対する思い‥
どれもこれもずば抜けていたし、またユーモアのある人でした。
私にないものを全てYamaさんは持っていた。憧れの人でした。
通学の電車の中で堂々と聖教新聞を広げ読むyamaさんの姿は、今も、思い出すだけで心に熱いものがこみ上げてきます。
一方、hanaも負けず劣らず素敵な友人でした。
勤行を絶対にかかさないし、池田先生を求める心が半端なかったのです。
私が聖教新聞の池田先生の顔にマジックでメガネを書いて遊んでいたら、烈火のごとくhanaが怒り狂いました。
「おい、菊川、なんちゅうことをしているんだ!」
私は信心も浅く、そんなことを平然とできるレベルの低い人間でしたが、その真剣な怒りの姿を見て、「スゴイな!」とビックリしたものです。
そのhanaに誘われて創価大学に出向き、私は池田先生にお会いしたのです。hanaは先生に会えるよう、ずっと祈っていた。
私はくっついて行っただけ。でもお会いすることができた。
この恩も、とても大きなものです。
当時の記事は、→
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その他、hana も私も貧乏でしたが、バイトで食いつなぎながら、励まし合いながら学生部の生活を楽しみました。勿論、その他、友人と呼べる人は多数いましたが、ここまで深い親交が続く人はおりません。
濃密な関係 はなぜ存在したのでしょうか。
そしてなぜ、今日までこの友情が続いたのでしょうか。
それは「尊敬」です。私自身が2人を心から尊敬しているからです。
私がその2人を尊敬し、愛しているのです。
勿論、相思相愛の関係ですが、まず「私自身が相手を好いている」ということが根底にあります。
相手が自分を好いてくれるかどうかは二次的なことです。
まず、自分自身が相手を選んでいるのです。
この方程式は、友人関係にある全員が当てはまります。
「この人と話したい」「この人と一緒にいたい」「この人と友人関係を続けたい」‥それがあって、友人関係は成り立ちます。
私に愛情や感謝があるから、笑顔も自然に出る。反応も歓喜になる。
すると相思相愛になるというものです。
お互いが、互いの幸せを喜び、不幸に同苦する。
「友の憂いに我は泣き、我が喜びに君は舞う」
そんな親友の関係なのです。
この2人の記事は、→
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このように苦楽を共にし、思い出すだけで幸福に浸れる関係。
それが真実の友だと思います。
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