☆遊びのないハンドルは危険.
ソフトバンクの駅の看板写真を以下に添付します。
このソフトバンクの看板は面白い。
白犬とスヌーピーがクリスマスの赤い帽子をかぶっている。
「遊び心」というのは、人をハッピーにするものである。
さて、昨日、「遊びを馬鹿にしてはならない」という記事を書いた。
その記事は、→
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日蓮大聖人は囲碁をされている。池田先生は将棋を指されるし、卓球を得意とされていたことも有名だ。さらに音楽鑑賞も美術鑑賞もされた。戸田先生は囲碁も将棋もされた。
創価は「信心だけをストイックにやれ!」と言っていない。
しかし、これらを批判する自称学会員がネットにいる。
日顕宗 は第九をドイツ語で歌うことが謗法だと学会を批判した。
原詩には「歓ぴよ、神々の美しい輝きよ、楽園の娘よ、我ら炎のごとくに酔い、天の汝の聖殿に足をふみ入れる」とあり、これがキリスト教を容認、礼讃することになるとの指摘だった。
文化祭や教義解釈、あらゆることに難癖をつけた日顕宗‥
この日顕宗のような心根の学会員が現実にいる。
特にネット学会員に、その傾向性を顕著に有する者がいる。
私があらゆることに批判されたのはその類の自称学会員だ。
(実際に学会員どうかは確かめようがない)
読者の皆様に申し上げたいのは、信心の教義解釈の間違いや、有害なウソ情報の発信といったものは批判に値するが、個々人の好みや楽しみまでを批判するような言論を信奉しないでいただきたいということ。
イスラム過激派が、お酒を飲める外食店でテロを行い沢山の善良な市民を殺害した。これは、酒は堕落であるとの意思も働いたようだ。
しかし、これはイスラム教の一部の過激派の異常な感覚である。
酒を飲む罪と、殺害する行為とは明らかにバランスを欠いている。
批判ばかりを繰り返す自称学会員は、これに類似する感覚があるように私は感じている。そのような学会員がいるとするなら本質は日顕宗と同じであろう。
世界旅行 を楽しんでいる学会のご家族が私の地区にいる。
ご主人は、「池田先生が訪問された国の全てに行く」とおっしゃっている。毎年、100万編の唱題を果たされる信心のある人だ。
私は「スゴイな」と憧れを抱くし、そのようなことができる学会員を誇りに思っているのであるが、この人を嫌っている同志もいる。
「あの人は活動もそっちのけで外国旅行をしているのよ」
「選挙期間中に、海外旅行に行くなんて信じられない」
そんなことをわざわざ言うのである。
最初、その言葉を聞いたとき「ありがちな感情だな」と思ったものの、「ちょっと違うのではないか」とも思った。
学会員として「あれはだめ」、「これはだめ」と言い始めたら、旅行にも行けないし、遊ぶこともできなくなる。
厳格すぎると子供もぐれる原因にもなるだろう。何事も極端なことは、「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」である。
楽しむこと が悪いことと定義することはオカシイ。
お酒を飲む、遊びに行く、その何が悪いのか。
もし、それが悪いことなら、酒場も遊園地も悪いビジネスということか。
ディズニーランドに行くことや世界旅行をすることが悪いことなのか。
同じくネット学会員の過激な言動は目に余るものがある。
彼らは正常ではない。彼らは独善が過ぎる。
そんな彼らの馬鹿げた話で、どれだけネットで大騒ぎがあったことか。
ソフトバンクが犬にサンタ帽子をかぶせた。私は素直に面白いと思うが、批判者は、この類のものも批判するであろう。
「動物虐待」とか「おふざけが過ぎる」とか。
境涯である。批判者は自らの独善に気付かない。
周囲の楽しみを悪と決めつける。そんな自称学会員には温かな家族もいないし、友人もいないだろう。
批判ばかりしてトモダチができるというなら、お客様を批判して営業が成り立つようなもので、それは「あり得ない話」である。
読者の皆さま、「遊び」を馬鹿にしないでいただきたい。
その心は、あなたのトモダチの数を増やすことはないし、あなた自身を孤立化させる元凶ともなる。
楽しく会話し、励まし合う行為こそ、大事中の大事です。
大いに、あらゆる人たちと仲良し子よしになって頂きたい。
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