☆思案した自らの生末.
あゝ人生に涙ありという歌がある。有名な水戸黄門の主題歌です。
「人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る(中略)
人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され 泣くのがいやならさあ歩け」
追い越されて 泣くのが嫌なら「さあ歩け」とのこと。
私も追い抜かれるのはイヤでした。だから競争社会の中で頑張りました。
30年仕事をして、まだ9年はしっかり仕事をしなければなりません。
もし、競争がなかったら10分の1も頑張らなかったでしょう。
この5年は特に、レ・ミゼラブルになりたくないという気持ちで歩みました。なぜ、5年余、レミゼを意識しつつ生きたか。
それは50歳を越え、体も頭脳も弱くなったからです。
泣くのは嫌だけれど、颯爽と前進できない自分。
無理が効かないのです。
私自身、昨年、1つの席を譲りました。
自らに限界を感じ、身を引いたのです。
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当時書いた詩は、→
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「困難から逃げない」。これは池田先生から教わったもの。
私は学会員であり、社会で負ける訳にもいかず、次なる目標へ歩み始めた。その勝利は意外に早くきました。私は不思議なことに勝ちました。
その勝利は、→
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勝ったけれど、譲った席は帰らない。
でも戻るつもりはありません。
社内引退 をした私には幾つかの歩むべき道がありました。
1つは、頑張り抜き職位を全うすること。
2つに、職位を譲り違う仕事をすること。
私に1つ目の選択はありません。55歳、もう若くはない。
期を見て敏なる動きができない。
好機なら私は再挑戦したかも知れない。けれど、もはや勝ち目のないことは明らかで、これ以上頑張っても見苦しいだけだと思った。
過去の栄光で生きられるほど世の中は甘くない。ただ、過去に栄光があるだけ幸せだ、ここで身を引こうと自分に言い聞かせた。
やりたいことが私にはありました。
もし、私が職位をキープしようとしたなら、100%仕事に集中しなければならない。それはできない。なぜなら学会活動やボランティアなどがあるし、また、親孝行もしなければならないからです。
仕事100% の時代が過去にありました。
そんな私が窓際族になり、信心するようになった。
今、仕事70%という配分です。やがて60%になる時が来る。
そのときは引退でしょう。なぜ60%なのか。
健康を作るための運動や年齢ゆえの休息の時間も必要なのです。
それに私には元々、やらなければならないことがあります。
それは等身大の広宣流布。リアルの活動もあるし、信心もある。
今となっては町のボランティアもある。だから私は仕事の荷を降ろした。
世の中、定年したら何もないという人生がありますね。
私はそんな人生は歩みたくありません。
本年3月まで1年間、私は町のボランティアをしましたが、これは定年後の基盤作りの作業でもありました。
私はこれからも防犯・防災に関与しつつ、定年退職をした時点(65歳)で、その分野の役員をやるつもりです。
世のため人のために尽くせる老後にしたい。
そんな夢もあるから、仕事量を減らしたということもあります。
結果、私は抜かれることを良しとしたのです。
私は心の中で次のようにつぶやくことがあるのです。
「さあ、君たちよ、私を追い抜いて行きたまえ!」
この私の行動を「惨めじゃない」と思われる人がいることでしょう。
いいえ、本当に沢山、私は惨めな思いしてきましたよ。
そして、これからもすることでしょう。
それは今後お話します。話せる範囲で。^^
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