☆浮気は伴侶だけの問題か.
伴侶が浮気をした。そして反省もなく続けているようだ・・
このようになったとき、私たちはどうすればいいのでしょう。
伴侶と言えども別人格であり、思うようになりません。
その問題を問い詰めてものらりくらり。
もともと罪の意識は低く、貞操観念が欠如しているのですからなおさらです。今さらですが、結婚した責任が自分にもあります。
許そうにも、本人が反省していなければ許すこともできません。
火種はいつもあり、不信と軽蔑の念は埋まらない。
それまで何とも思わなかったことが1つ1つ嫌になる。
どうしてもウソを付いているようだから信用はできない。
こうして夫婦の関係はギクシャクします。
もし、伴侶が一時の過ちなら収まることでしょう。
しかし、浮気が麻薬のような存在となり、禁断症状から二度、三度と常習化され、まして家出してしまうなら・・
そこまでいくと万事休す、です。
本格的な離婚も想定しなければなりません。
この話は対岸の火事ではなく、男にせよ、女にせよ、浮気を生きがいにするような人は少なくありません。
果たして、こういう人たちの性根は治せるのでしょうか?
解決は3つしかない。1つは許す、2つは元の鞘に納める、3つに別れる。
第4の道もあるかも知れない。カタチ上、夫婦を続ける。辛い選択ですが。
状況も、解決の仕方も、まさに十人十色です。
浮気相手を脅すというてもあるでしょうけど、浮気相手が逆ギレもするし、こういう問題は一筋縄でいきませんね。
大事な視点は、伴侶のせいにだけはしてはならないということ。
自分への反省もないと、一方的に悪いと騒ぐだけでは身も蓋もなくなるでしょう。仏法では殺されることも宿業と位置づけます。
勿論、殺人者を容認する訳ではありません。
しかし、仏法は内道ゆえ、浮気をされ苦しむ自分自身の宿業と捉えるのです。苦しんでいる自分、辱しめを受けている自分・・
そこには、家族も子供たちもいて、皆が苦しみます。
この苦悩の源は、一体、どこにあるのでしょう。
今世で振り返っても要因がなければ、過去世でしょう。
記憶もない生前のこと。されど、悪因ゆえの悪果とも言える。
全ては自分の命の中に原因がある。
ゆえに今こそ祈り、今こそ学んで、宿命転換をしなければならない。
伴侶が欲深いことも、貞操観念がないことも、全部自分の宿業。
勿論、悪鬼が入る魔の蠢動もあります。
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その原因が何であれ、私たちはこの伴侶の裏切りを変毒為薬とし、幸福へのきっかけにするしかありません。
とどのつまり、幸せとはあるものでなく作るもの。
さあ、いよいよ御本尊の前に単座するしかなくなりましたね。
まっすぐ妙の字を見て、祈り始めてみてください。
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