☆宿命とは孤独な戦いになる.
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Q1. 自己との闘いが時には孤独で、一人だけで続けていくことが辛くなることがあります。本当は近くの同志といろいろと話して励ましあって「よし!やろう!」となりたいのですが・・
A1. 深い悩みというのは、周囲に話せないものです。
その悩みは大きく深く、解決できるどうか分かりません。
話せたとしても、当人が受けている苦痛の10分の1すら、周囲には伝わらない。理解し、同苦できるのは、同じ体験をした人だけです。
どんなに親しい友人であっても、話せることと話せないことがある。
私は27歳のとき離婚しました。このとき、尊敬する先輩も友人もいましたが話せませんでした。話したところで何も変わらないと思ったから。
むしろ、周囲に心配をかける、迷惑をかけると思いました。
伴侶がいたり、家族がいても、その宿業と戦わなければならないのは当の本人です。
実際、地獄に堕ちて、その恐怖と苦悩は当事者の宿業です。
自らの命に刻まれた宿業との対決・・それは孤独な戦いです。
私は27歳の時、状況を親にも話せず、孤独でした。
40歳の窓際もそうです。孤独な戦いを続けました。
ただ、40歳のときは、内容は話しませんでしたが、担当の白ゆり長が私の奥さんと仲良しでお世話をしてくれたのです。
私は白ゆり長に「祈りは叶いますか?」と聞きました。
すると「どのぐらいお題目していますか?」と聞かれた。
「1日20分です」というと、「菊川さん、宿命転換が20分でできたら、全員があっという間に幸せになるでしょうね。私は1時間でも足りないです。大きな悩みなら、20分じゃ足りないと思いません?」と言われました。
それで1日1時間やるようになりました。
同じことを地区の他の人にも聞きました。
「祈りは叶いますか」と。皆、「叶います」と言いました。
創価学会員は皆、祈りは叶うというのです。
この程度のつながりですが、でも励みにはなりました。
1時間の唱題が続けられたら宿命転換はできます。
けれど、いつ、どこで、どのようになるか・・それは分かりません。
ひたすら信じ、継続するしかありません。
人生、孤独な戦いの時期があるものです。
不幸のどん底で、必死に御本尊に向かう、必死で祈る・・
その修行こそ、穢土1日の修行です。
極楽百年の修行は穢土の1日の修行に劣るのです。
華やかで楽しい学会活動を百年やるより、宿命に泣き、打ちのめされるような苦難の中で、御本尊にしがみつき、祈りに祈った日々・・
今、非公開さんはスゴイ修行をしていることになります。
あなた様は孤独のように思えても、地区に同志がいます。
解決すれば、生涯に誇れるスゴイ体験が生まれます。
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