☆創価学会仏の使命に生きる.
非公開さんの質問(趣意)を再び示し、申し述べます。
Q1. 私は3世として生まれてきました。
周りの子達よりも「使命」について幼い頃から度々親から聞かされ、考えてきましたが、未だその使命がなんたるか分かりません。
三世永遠の生命観から考えると、人は今世生まれる前から既に使命が決められていて、言うならば「あなたはこの使命を全うしなさい」と「敷かれたレール」みたいなものが自分の意思とは関係なく決められているのか。
それとも自分の考えや意志一つで使命とは自分が作り、自分が「これこそが私の使命」と決めてゆくものなのか。
<使命>の本質、正体を教えて欲しいです。
この質問の原本は、以下のURL記事になります。
http://sokamori2.exblog.jp/26235995/
非公開さんは自らの生活の中に使命が見つからず悩んでいらっしゃる。
自分の人生で何かをしなければならないことは分かっている。
でも何をしていいのか分からない・・
私自身、この非公開さんと同じ悩みがありました。
子供のころから幾度となく聞く「使命」という言葉。
命を懸けても悔いのない意義あるものが欲しいのです。
でも見えないから努力できないし、築けない。
心が晴れない。出口のないトンネルのような息苦しさ。
でも、私たちは理屈の上で使命の本質を知っています。
それは「広宣流布」であり「地涌の菩薩の使命」ですね。
いつも見聞きするこの言葉、でも感じられない人は多くいます。
創価の輝いている先輩たちはこの言葉を具現化しいます。
そこに近づきたい。でもどうしても近づけない・・
そのことを17話記事にしてみたのです。
「使命の本質」と題したものの、ラストは非公開さんへのエールのみ。
回答として「これです」とは申し上げなかった。
「これです」というのはご本人が決めることだから。
使命とは個々の人生の中で見つけるしかない。
シリーズで言いたかったのは以下の3点です。
「使命なき人生は不幸な人生」と言える。
http://sokamori2.exblog.jp/26266377/
使命感の偉大は、必ず偉大な仕事を成す。
http://sokamori2.exblog.jp/26279624/
その偉大な使命が自分自身の人生に必ずある。
http://sokamori2.exblog.jp/26288039/
世間から見れば小さな使命も、本人にしてみると大きな使命です。
それは、子育ての母親の話で申し上げました。
http://sokamori2.exblog.jp/26253015/
本当は、創価学会員としての生活そのものが幸福であり使命です。
でも素晴らしさは使命が宿ってやっと分かるのです。
私は43歳で分かった。苦労して掴んだ使命でした。
祈れないこともあるでしょう。末活動の時期もありましょう。
けれど、やっぱり学会員であり続けること、学会を信じ抜くこと・・
このことだけは継続していただきたいです。
そこからあなた様の具体的使命を見つける。
あなたの境遇、あなたの悩みの中に使命は隠れています。
今、小説・新人間革命29巻「源流」に、インドのナラヤン副総長の話が綴られていますね。最下層の貧しい家に生まれ、でも苦学して大学を卒業する。やがて外交官になる。そして大学の副総長になる。
池田先生は、このナラヤン氏の存在を次のように評価する。
「
カーストによって差別する偏見を打ち破る先駆の力になった」
さらに「
人間の生き方が社会の変革を促す」とも。
夫として、妻として、独身として、生き方を通じて実証を示す。
家庭を変え、親戚を変える。会社員としての生き方を通じて、部門を変え、会社を変える。病気になれば、その病気を克服して病人を救う。
どんな立場であろうと、その立場で周囲を良く変える。
私たちは、親を伴侶を、職場の人たちを友人を、全部、幸せに導く。
その「これが私の方法だ」というものを見つける。
ある人は学会の役職で、ある人は職場で、ある人はボランティアで・・
どうか素敵な使命を掴み、晴れ晴れと歩んでいただきたい。
私も歩みます。どうかあなた様も!
以上で「使命の本質」の連載を終了します。
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