☆ネット誹謗の罪の大きさ.
Q1.
ネット社会の現在、ありとあらゆる所で正法誹謗、同志誹謗、はたまた先生や大聖人様まで批判されてる内外問わない「アンチ」の方々がいらっしゃいます。
「顕謗法抄」にも仰せの通り、謗法とは、自身が正法を憎み背くことのみならず、衆生に正法を捨てさせることであると思います。
批判記事や批判投稿は自身の謗法の記述のみならず、不特定多数が閲覧出来る公共の場において、信仰に不信を抱かせたり信仰から遠ざけ、退転させてしまう恐れもあると思います。
しかもその記述した謗法の内容が削除されない限りは半永久的に不特定多数の人がその謗法の罪を目にし、感化させてしまう恐れが生まれ続けることになってしまいます。
なんとも恐ろしいことです。
アンチの本人が途中で改心して、この書き込みは間違いだったと後悔、反省の念を抱き、削除したなら謗法の罪も一時の生命に刻まれただけで、その後、第3者の目に触れなければ仮にも法華経を捨てさせる恐れのあるものとはなりえませんが、掲示板によれば中々削除に応じてくれない所もあるようです。
2チャンネルのような巨大掲示板がまさにそのようです。
その謗法記述の内容が例え匿名でも、半永久的に残り続けるようであれば、この方々はその後、謗法をおかすことはなくても、閲覧出来る不特定多数の方々に何かしらの影響を与え続けてしまう以上、一度の謗法書き込みで、その方は助からないのでしょうか?
アンチの方が入信し、この正法に信伏随従して信心されていかれたとしても、謗法記述が削除されず他者の目に触れ、影響させてしまう恐れがいつまでも残り続ける以上は、懺悔滅罪を祈っても、同時に水面下で謗法をおかし続けることにもなってしまい、もはや救われないのだろうか? と本当に怖くなった次第です。
学会批判本やYouTubeなどの批判動画でも同じです。
この世に謗法の痕跡が残り、不特定多数に悪影響を及ぼし続けてしまえば、当の本人が改心、懺悔滅罪を祈り続けても自分の手から離れた所で謗法が生きていればどうなるのか... と感じた次第です。
感想をお聞かせ願えればと存じます。
所感.
ネット社会は今、私たちに多大な影響を与えつつありますね。
パンドラの箱が開いたかのようにも感じることがあります。
今、小学生までがスマホを見る時代になりました。
簡単に検索できる利便性は良しとしても、「自分で考える能力」が衰えるのではないか、という懸念の声が上がっています。
ネット誹謗心配さんがご心配されているように罪を作る人も、罪を盲目的に信じる人も、恐ろしい宿業を積むことは間違いないでしょうね。
熟慮してご回答申し上げたいと思います。
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