☆学会活動が多過ぎて辛い.
お二人から同様の質問があり個人的見解を申し上げます。
Q1.
いつも報告に追われています。新聞啓蒙や選挙が多い。
本当は地域ボランティアに参加したり、みんなで集まって祈りあったり、先生のスピーチや教学深める活動が主体になれば自然と社会で必要とされるのではないでしょうか。
この考えはおかしいですか?
Q2.
※※が活動と仕事と家事との両立ができきれず倒れました。
※※は確信を感じれないまま婦人部になりました。※※の様に命で感じ取っていないまま活動に忙殺されている方が多い。特に支援活動。
自分のお題目、教学によって確信を深め合える時間があればと思いますがいかがでしょうか。
A1&2.
協議会、座談会、部員さん宅への訪問、同時放送、選挙、新聞啓蒙・・
この他、各部の会合や幹部の会合がありますね。
会館の警備や清掃まで、学会活動は多彩です。
上記の悩み、私もありました。とにかく活動が多い。
私は40~43歳のとき、役職もなかったので会合は少なかったです。
出席していたのは座談会と同時放送のみ。あとは一口財務だけでした。
当時、新聞啓蒙も選挙活動もしませんでした。
当時、10人ほどと仏法対話し、2世帯の本尊流布ができました。
その他は御書や小説・人間革命を読み、お題目を唱えました。
やがてブロック長になりました。
そこから協議会に参加するようになりました。必然的に運営者の責任が生まれ、部員さんまわりもするようになりました。
そのうち、新聞啓蒙や選挙活動が加わりボリュームが増えました。
私は40歳からの3年間で真剣に実践した勤行・唱題で沢山の功徳をいただきましたから、活動は苦もなく歓喜でやっていましたが、仕事量が増えたり、町内会の役員の仕事が増えたりすると苦しくなりました。
同じように「会合の多さ」が重くなり、悩むようになりました。
その活動には際限がありません。
どこまでやらなければならないのでしょうか?
たとえば「財務はいくらしたらいいのか」ということはどうでしょうか。
最低は一口。そこから十も百もあることでしょう。
私の地区の副支部長は会社の社長をされていて「生涯1億円」を目標にされ、財務に挑戦されています。
社長はそのぐらいやることが正解でしょうか。
大事なことは、「自分で決める」ことだと申し上げたいのです。
決して周囲の評価など考えず、自分と御本尊、自分と池田先生、自分と創価学会との間で決めることだと思うのです。
地区部長だから一口では恥ずかしい・・
そんな風に絶対に思わないことです。
そもそも、健康状態も仕事の景気も、全員が全員、立場も状態も違う。
子供が大学に進学してお金がいる。この4年間は一口だけにしよう。
未来ある創価の後継への支援です。一口だって立派な御供養です。
「地区部長のくせに」などと思われても意に介さないことです。
役職のない立場であるなら、自分の思い通りの信心ができますね。
でも、信心が深まったら役職が必ず与えられます。
そして、様々なお願いごと、例えば座談会の司会とか指名される。
見事にやり遂げると、さらにお願いごとが増える。
周囲は期待しますし、どんどん活動領域が増えるのです。
けれど、仕事や家事、ボランティアなどの削れない領域が重なり、あれもこれもとなって、決断しなければならないことがあります。
「これはやるけれど、それ以外はやらない」宣言です。
選挙で5つのFしか取らない高齢の婦人部がいます。
はやばやと5つのFをとると、選挙活動は終わります。
しかし、その5つのFは確実なFなのです。
Fを100とって、一体、確実なFはどのぐらいでしょうか。
その婦人部は笑顔で言うのです。
「私のFは、確実なFだから、私はこれでいいの」と。
これはこれで素晴らしい。この生き方を知り、私も、「今年はここまでやる」と決めて終えるようにしたら悩まなくなりました。
選挙でも「最後の一票」という執念は尊い。スゴイ。
でも、今の生活基盤を放置する生き方の弊害も考えなければなりません。
広宣流布は今だけではない。一生をかけてやる大仕事です。
全力投球して、肩を壊したピッチャーにならないことです。
組織全体のことを考えたら悩みは尽きませんね。
私はあえて、あなた様に申し上げたいのです。
「もっとワガママになりませんか?」と。
「自己犠牲には限界がありますよ」と。
例えば仕事が過密だったり、プライベートで忙しい。
できないものはできない。お金と同じです。お金がなければ財務はできないのです。しなくていいではありませんか。活動も休んでいい。
「一生を通じて広宣流布をやる」と決意していればいい。
先日、学会員ではない知り合いのご子息が自殺されました。
まだ大学生の息子さんです。訃報を聞き、ショックで何も言えません。
そのようになったとき、活動は続けられるでしょうか。
続ける人もおられましょう。でも、大半は続けられないでしょう。
ある学会員さん、子供を交通事故でなくして2年間、まったく活動ができなかったそうです。3年目からぼちぼち。それが何が悪いでしょうか。
私たちはとかく周囲の評価で必要以上の荷物を背負うことがあります。
でも、大事なことは「やった分」「やれる分」でいい。
私はそう思います。
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