☆仕事を楽しむ人生.
「金儲け」をいろいろ考えてみました。
書きなれない「投資の分野」も書いてみました。
しかし、まるで浮ついた文章で、何ともしらじらしい。(^^:
やはり私には「金儲け」の話は不適格としか思えません。
私は金儲けを知識として持っている、あるいはそういう分野で生きている人たちの姿も見ていますが、現実の私は何も思わないか、あるいは何か嫌悪感というものがあって気持ちが晴れないのです。
株、為替取引、債券投資など、一つ一つが確かに「金儲け」という分野で多くの人々を魅了し、現実に儲かっているとしても、そこに「夢」は何もなく、ただ銭カネを集めるだけの世界なのです。
まるで砂を噛むような気持でその世界を見ています。
金持ち父さんになりたいとの欲もなく、貧乏父さんで何が悪いと思っているのでなおさらなのかも知れません。
まず、誤解されないために言っておきますが、私は貧乏ではありません。
でも、金持ちでもない。平凡な生活しているだけ。
近辺に大金持ちはいます。その人たちは物凄く稼いでいます。
月給が100万円という人は沢山いる。
何十億もの資金を運用している人もいる。
電車に乗らず、クルマも運転せず、タクシーやハイヤーの人たち。
誕生日ともなると、自宅には花束が何十と届き、金持ちが集うパーティーの誘いも頻繁にある。とにかく生活が派手なのです。
しかし、その世界には恐ろしいほど「慈悲」「愛情」「感謝」「使命」などがないのです。そこにあるのは「金儲け」だけ。
私はそんなところに生きたくないのです。
そんな気持ちの悪いところで生きたくない。
そこは、劣ったものが死に、疲れた者が虐げられ、ミスをした者が罵倒され、お人よしが騙される、そんな濁悪の世界だから。
貧乏父さんは、黙々と働きます。
病気になること、ケガをすることは即ピンチです。
蓄えもなく、未来に不安もあるし、だから今日も明日も、1年後も10年後も仕事をしなければなりません。
けれど、貧乏父さんには、金持ち父さんにない素敵な生活があります。
それは「生きている実感」です。「純粋な心の生活」です。
今月を働き、来月の給与を得て、今を懸命に生きる。
そういう張り合いのある毎日を生きているのです。
体がしんどくても働きながら治すのです。
社会の現実の中で汗を流して働くのです。
その点、金持ち父さんは、そんなドラマの中では生きられない。
ただ楽チンで、苦痛の少ない、年中快適な空間にぼんやり生きようする。
貧乏父さんは汗水流してクタクタで帰宅します。
お風呂で汗を流し、温かな家族と夕飯を食べます。
貧乏父さんの人生は苦労の多い分、休息はとても心地良い。
金持ち父さんは1本5000円以上のワインを飲み、貧乏父さんは1000円以下のワインですが、その美味さは金持ち父さんは味わえない。
睡眠も労働している貧乏父さんの心地良さにかなわない。
まして、一生懸命働いて、目覚めた休日の朝の悦び!
それは金持ち父さんんは味わえないことでしょう。
貧乏父さんは旅行も行かない(行けない)し、高級な洋服も着ないけれど、十分に楽しんでおり、かつ、彼の家族や友への感謝の心は、到底、金持ち父さんなど太刀打ちできないほど大きいのです。
私は見てきました。金持ちの空虚と気持ちの悪い人生を。
確かに、楽だし、快適ではあるのです。
でも、歓喜や納得や、やりがいや張り合いは貧乏父さんの方が上です。
ですから、私は貧乏父さんでいいのです。
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