☆地涌の使命を果たす.冒頭、「モテることは幸せ」「お金持ちが幸せ」「才能があるから幸せ」とか、要するにチカラがある人は幸せ、チカラのない人は不幸せという世間の考え方に対し、このシリーズを書き始めました。
そこから幸福とは何かということを語りたいと申し上げました。
その最初の記事URLを以下に示します。
http://sokamori2.exblog.jp/27678325/美人でも金持ちでも、才能があっても地位が高くても幸せではない。
お金がなくても地位が低くても幸せな人は沢山いる。
そういうカタチに幸せがあるのではなく、心と行動(成果)にある。
その答えを、そうこさんが記してくださいました。
そのそうこさんの記事URLを以下に示します。
http://sokamori2.exblog.jp/27829879/そうこさんは次のよう述べられています。
>自分の心、命が幸せじゃないと、歓喜が出てこないし、
その時だけ、儚い喜びなんだって。
苦労をしらなければ、人に感謝できないし、
増上慢になって、不幸になるんだなと思いました。
命の幸せとは「成仏」、苦労とは言い換えれば「仏道修行」でしょう。
そのベクトルは「善」、すなわち「一切衆生の救済」にある。
私たちは日蓮大聖人の弟子として生きている。
南無妙法蓮華経を根本に生きている。
そういう骨格のない人生は、どこまで行っても迷いと悩みの人生です。
モテても、お金が沢山あっても苦しむのです。
憎しみあい、裏切られ、馬鹿にされます。
財産や美貌を失うのではなかという恐怖もすさまじい。
けれど、それら生老病死の苦を楽と変革するのは何か。
それは、境涯と行動(成果)と思います。
その行動とは、自他ともに幸せになることしかない。
すなわち創価学会の生き方にしかありません。
(以上、コメントの趣意)
創価学会の生き方は、学会組織の外もあります。
世界の偉大なる人たち、例えばナイチンゲールやヘレンケラーなどは、菩薩道の人生であり、それはまさに創価学会の生き方ではないでしょうか。
確かに、ナイチンゲールやヘレンケーラーは大勝利者です。
そんな人生を歩める人はまれで、「自分にはそんな能力はないから無理」と私自身、ずっと思っていました。
でも、そうではなかった。
私が、私の使命に気付いたのは、あの窓際族のときです。
その当時の体験を記した記事URLを以下に示します。
sokanomori.exblog.jp/15414796/このとき、自分にもできる「誰かのためになれる人生」を知ったのです。
それを、私は「等身大の広宣流布」と言うようになりました。
自分自身が地涌の菩薩であるという確固たる認識が生まれました。
以来、15年以上に渡って、私の幸福は崩れることはなかった。
その15年の間には、苦難は間断なく訪れました。
でも、ずっと私の心には不動の確信があるのです。
「幸せとは仏に成ることなんだ!」と。
今、私は創価学会員のはしくれとして生きています。
社会においては無名の会社の一員でしかありません。
けれど、私は私の使命を果たしている。
そのことが何より幸せなのです。
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