☆捨てられて得るもの.前回の記事URLを以下に示します。
https://sokamori2.exblog.jp/28179408/>自分で言うのもなんですが、最初は男性から好かれるのですが、ある程度するといつも、冷められるのです。その程度の人間なんです・・
さて、これは、どうなんでしょうか。
「ある程度すると冷められる」のは誰しも同じではないでしょうか。
熱烈な恋愛は、永遠に続くのでしょうか。
ホッカイロは空気に触れると熱を出します。
でも、ある時間を過ぎると冷めます。
冷めるのはオカシイことでしょうか?
どんな夫婦も男女の関係から、やがて友人に変わる。
戦友に変わる。家族に変わる。変化していきますよね。
残るものは、友情や感謝や尊敬なのではないでしょうか。
(場合によっては仲たがいや憎悪、軽蔑となる)
問題になるのは、冷めたホッカイロに感謝の念が持てない境涯にある。
あなたのご主人は、このように申し上げるのは申し訳ないのですが、温かみのない、その程度の男です。
(あえて厳しく申し上げたことお許しください)
離婚経験ありさんは、「いい加減な人間」、「中途半端」と言われるけれど、それはあなたの今の境涯がいい加減であり中途半端なんです。
あなたに必要なことは「仏の境涯」ですよ。
私の経験からすれば、幸福とは置かれている環境など関係ないのです。
それと、あなたは捨てられることがイコール不幸と思っている。
それも信心の眼から見れば違うのです。
捨てられて失う量、得るものがあるんです。
大聖人は次のように仰せです。
「人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し
地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるなり」(552)
あなた様の今の苦労は、信心で受け止め信心で努力すれば、必ず、あなた様を速やかに仏にすることでしょう。
池田先生は、天涯孤独な青年に指導されました。
「孤独は人を強くする」と。
https://sokafree.exblog.jp/26766723/あなた様は、生命が永遠に続くことを覚知している。
今世の孤独が過去の宿業であることも知っている。
でも、そういう人生のカタチを通じて、果たせる使命もあります。
願兼於業(がんけんおごう)の人生が創価の人生ですよ。
https://sokanomori.exblog.jp/11138795/捨てられ、家族を失い、でも信心し、真実の幸福を得る・・
今は迷い、今は辛いけれど、あなたは絶対に幸せになれる。
それは迷いを断つ「決意」です。「誓願」です。
御本尊に一切を任せ、あなたが師子になることです。
私は27歳の時、捨てられてその後、「温かい心」を手に入れました。
私は40歳の時、職場でいじめられて「寛容の心」を得ました。
出来の悪い私は、できの悪い人のサポートをきめ細かく果たすことができるようになりました。
体の弱い私は、工夫し、健康を維持するすべを身に付けました。
離婚した私は、人間関係を悪くした人に同苦することができるようになりました。
虐げられ、苦難を経て、境涯が高まり、いつしか幸せになりました。
カタチではないのです。子供がいないことすら武器に変わるのです。
子供がいないから、その分、楽ができる。
その余裕で、ブログもひらがな御書も、町会役員もやれる。
残す財産も必要ないし、その分、質素に生きられる。
マイナスはマイナスだけの意味ではありません。
マイナスの分、何かを人は果たせるのです。
私の信心の認識はそういうことです。
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